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「真言密教立川流」と性行為で悟る左道思想

「真言密教立川流」と性行為で悟る左道思想

 

※注意!性的表現がメインの記事です!

※下ネタとBLGL(同性愛)ネタ要素を含みます。

 

キャラクターの紹介はこちらからどうぞ。

 

非常に有名なヤバイ宗教ミーム、といって良い「真言密教立川流」というものがあります。

これは現代にそうなったわけでは無く、鎌倉時代から長く続いてきた風潮です。

 

近年…と言っても既に2000年代初頭には、そこに対して懐疑的な見方が出始めていました。

 

本来であればこの「真言密教立川流」に関する諸問題は、非常に難しい内容です。

深く掘れば掘るほどに、仏教の専門的知識が必要となります。

試しにWikiでも見ればわかりますが、この時点で「性的な宗教ぐへへ」みたいな興味では挫折する可能性が高いのです。

 

 

この記事では、あくまでも

 

・俗説的な意味での真言密教立川流とは?

・それは本当にあったのか?

・性行為で悟りを開く、とは?

 

 

このあたりに絞って、出来るだけ仏教の専門的部分は噛み砕いてお話していこうと思います。

いわゆる俗説的な真言密教立川流とは?


真言密教立川流(しんごんみっきょうたちかわりゅう)とは、かつて日本に存在した仏教派のひとつです。

真言立川流とも言われます。

 

この最大の特徴は

 

・教義の中に性行為が含まれている

・ドクロを使って未来を予知する

 

という、およそカルト宗教と区別のつかない内容が、仏教の一派として実在していたという記録が存在するところでしょう。

 

この存在は、鎌倉時代である1268年に誓願房心定という密教僧が書き残した「受法用心集」という書物で少しだけ語られています。

南北朝時代1375年「宝鏡鈔」や鎌倉時代1281年「破邪顕正集」にも少し登場します。

 

真言密教立川流という一般的な名称は

「真言宗」「密教」「立川流」

という三つの要素で成り立っています。

 

「真言宗」「密教」ってなぁに?


真言宗とは仏教派のひとつです。

開祖は空海(弘法大師)で、空海自身が中国の唐で学んだ中国仏教を基盤とした大乗仏教の宗派です。

本尊は「大日如来(だいにちにょらい)」です。

 

この「大日如来」は後世で、天照大神と同一のものだといわれた(広めた)時代もありますので、立ち位置的にはそのように見てもらうと一番わかりやすいと思います。

 

真言宗の最も特徴的な教義は「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」です。

これは、過酷な密教的修行の末に仏の境地に至る方法を指します。

ですから真言宗は「密教」なのです。

 

現在、多くの一般的宗派は密教ではなく顕教です。

この違いは

密教→体で覚える

顕教→頭で覚える

雑に解説するとこのような違いになります。

仏教僧のミイラなんかは典型的な密教僧ですね。

 

身体で覚えるにしろ、頭で覚えるにしろ、その方法は千差万別です。

目標を「悟りの境地」として、そこにどのような方法で至るか?という解釈=各仏教派の違いというのが、一番簡単な理解であると思います。

 

これ以上、仏教においての密教・顕教等の分類に説明を加えると、あまりにも難しくなってしまうので、今回はこの辺にしておきましょう。

 

ここで判明するのは、「真言密教立川流」の「真言密教」とは、

 

「過酷な肉体的修行によって、悟りの境地に至る仏教派である。」

 

ということですね。

 

「真言密教立川流」ってどんなことをするの?


平安時代末期、三の宮輔仁親王の護持僧・仁寛が、罪を犯して伊豆へ流されました。

そこで民衆に仏教の教えをわかりやすく説き、男女の悦楽を即身成仏であるとしたことで広まりました。そのとき立川に住んでいた陰陽師・見蓮がこの噂を聞きつけて伊豆を訪れます。

そこで見蓮は仁寛から真言密教の秘伝を受け継ぎ、自らの陰陽道と組み合わせることで出来たのが、立川流のはじまりであるとされています。

これは瞬く間に全国へ広がり、やがて高野山や幕府に届くのですが、鎌倉時代には弾圧を受けることになります。

 

現在、立川流の教義については、先ほども挙げた鎌倉時代1268年「受法用心集」にのみ記載されています。

この書物での記述の真偽は一旦置いておいて、邪法といわれる教義の内容がどのような紹介をされているのか、見てみましょう。

 

なお、「受法用心集」は現在ネットのアーカイブで閲覧が可能です。

 

① 人間の新鮮なドクロを用意する。

② 真言を唱えながらドクロにウルシを塗り、それを祭壇に安置する。

③ 何人もの美女と濃厚な性行為をし、その時の愛液と精液のまじりあった液(和合水という)を二人でドクロに塗る。

④ 毎晩「反魂香」を焚きながら反魂真言を唱え、これを一週間各日120回おこなう。

⑤ 最終日、また和合水と漆と金銀箔を使ってドクロに呪術を施す。

⑥ このドクロを袋に入れて、7年間抱いて寝る。

⑦ すると、何年後にドクロに命が宿り、神通力を得る。

 

長いので簡略化していますが、概ねこんな感じです。

 

この最終目的は性行為ではありません。性行為は手段です。

目的はこの儀式によって、ドクロに新たな生命を与え、その反魂の力によって神通力(未来予知)を得ることです。

 

見ればわかりますが、かなり衝撃的な内容です。

一度見たら忘れられない、エロとグロの融合。

この立川流は歴史上で何度も大弾圧を受け、その結果資料の殆どが焼失しており、現代には先に挙げた以外の資料が存在しないのです。

ですからほぼ唯一と言えるこの「受法用心集」に書かれた儀式=立川流というイメージが、数百年を掛けて定着してしまいました。

 

 

なお繰り返しますが、この通称「ドクロ本尊作り」は「受法用心集」でしか伝えられていません。

その「受法用心集」自体がスタンスとして、立川流の淫祠邪教を激しく非難する「アンチ」の立場でした。

これには相当なバイアスが掛かっていると見るべきです。

 

仏教に厚い歴史研究家・笹間良彦「性と宗教 タントラ・密教・立川流」(2000年)において笹間氏は

現実的に考えて、どれほどの好色家、どれほどの美女であっても、この不気味な条件下で毎晩性行為し続けるのは異常。大体、勃つものも勃たないし、こんな状況でウルシなんか塗ったら、かぶれて大変なことになってしまう。現実に存在したとは到底思えない。

ということを述べています。

 

同様に、宗教学者・彌永信美「いわゆる「立川流」ならびに髑髏本尊儀礼をめぐって」(2018年)という論文(ネット閲覧可能)においても、この儀式の実在には懐疑的です。

 

ちなみに、双方とも、教義に性行為が含まれること自体は認めています。

実は、仏教派の教義中に性行為が存在すること自体は特に珍しい事ではありません。

これについては後述します。

 

髑髏(ドクロ)本尊は本当に存在したのか?


多くの研究者の著書では、「あった」という前提で話が進んでいます。

なぜなら「受法用心集」が鎌倉時代にこのドクロ本尊づくりにて立川流を批判したことで、そのあとの歴史に影響を及ぼしているからです。

ですから、このおぞましい儀式の実際の真偽はともかく、「あった」と認識して歴史が紡がれているので、既成事実になってしまっているのです。

 

神崎宣武「まぐわう神々」(2023年)では、豊島泰国「図説 日本呪術全書」をひいて、

この立川流の支持者は朝廷にも入り込み、それを原因として仏教界にも少なからず影響を与えた、としています。

 

 

宗教が一方的に異常なまでの大弾圧を受ける場合、そこには政権にとって不都合な理由が存在する場合があります。

笹間良彦氏は著書の中で、鎌倉時代に性行為を教義に含む仏教派が一部で流行したということを書いています。

先程も少し触れましたが、教派によっては(特に海外)性行為は当たり前のように悟りに至る秘儀として採用されているので、これ自体は疑うことでは無いのです。特に日本に渡来して浅い時期の仏教は混沌を極め玉石混交だったでしょうから、一部で「セックスで悟れるとか最高じゃん!」という人々が出てきてもおかしなことではありません。

 

本来仏教は偶像崇拝を禁止しているのも関わらず、それでは「迷える信徒が納得できない・わかりにくい」という理由で便宜上の偶像・聖人崇拝を許可している(見逃している)わけです。

実は同様に、日本の仏教に存在する「女犯(にょぼん)」の思想は、仏教思想の大元には存在しません。

「女犯」とは女性との性交渉を断たねばならない僧侶がそれを破る罪、というものです。

 

つまり、本来の仏教には女犯思想はありません。

そもそも仏教説話の中にはいくつかの「セックスで改心させる」話があります。

改心した神で有名なものは「歓喜天」で、性行為で悟りに至ろうとする教派の本尊は、大抵この「歓喜天」であるといわれます。

立川流の本尊は歓喜天ではなくダキニ天といわれますが、これは明らかに悪意のある風説と思われ、ここからも立川流に対する過剰な風評被害・色眼鏡が見えます。

 

これらのことから、概ね立川流は

「何らかの性交渉を、教義の中に含む・容認していた可能性は高い」

のは間違いないのではないかと思われますが、ドクロ本尊作りには根拠が無い可能性が高いと思われます。

 

 

なお、笹間良彦「性と宗教 タントラ・密教・立川流」(2000年)で笹間氏は、

立川流は性行為を容認する形で存在していただろうが、ドクロ本尊作りに対しては立川流創始者・仁寛も大成者・文観も一切触れていないし、後年に何者かが創作したものだろうとしました。

笹間氏はインドやネパールの密教にも明るく、実際に現地を訪問したりもされているようですが、性行為部分は認めながらも、ドクロ本尊に関係するものはインド・ネパール・チベットにも見つからないと述べています。

 

 

彌永信美「いわゆる「立川流」ならびに髑髏本尊儀礼をめぐって」(2018年)において、彌永氏も違ったアプローチから概ね同様の結論に達しています。

立川流は存在しただろうが、ドクロ本尊を作るような「いわゆる立川流」は存在しなかったのではないかとし、これには仏派の系譜である「血脈」や民間信仰との関りの面から、笹間氏よりも更に詳細な見解を述べておられます。

 

 

ドクロ本尊という「グロテスク」と、性行為という「エロス」は共に秩序を逸脱するものの典型例であり、かつ人の興味を強烈に惹きます。

しかし実際のところ、端的に言って「アンチの過激な批判記事をそのまま鵜のみにしてきた数百年だったが、よく考えたらそれはおかしい」の一言にたどり着く訳です。

 

ですがこの過激さと強烈なエログロという組み合わせは数々の人々を魅了し、立川流はその矢面に立つことにより、数度の弾圧の末に資料の大半は失われ、淫祠邪教のレッテルを貼られたまま現代に至ったのでしょう。

もしくは、性行為を含む仏教派の代表格として、特にやり玉に挙がったのが立川流だったのかもしれません。

 

性行為で悟りに至るとはどういうことなのか


まず大前提として、ドクロ本尊をなかったものとしてみれば、立川流自体はセックスで悟りに至れるとは言っていません。

しかも、夫婦以外との性交渉は認めていません。

 

笹間氏曰く、立川流についての1694年の木版では「三賢一致書」と同様のことが説かれているといいます。

この「三賢一致書」と同等の内容は、彌永氏も挙げておられます。

ちなみにこれもデジタルアーカイブで閲覧可能です。

 

 

性は生を生み、そして死ぬが、また輪廻によって生が巡ることを「男女の和合」と、そこから誕生する「子供」に見立てて(というかそのまんま)説いているのです。

男女両性の結合が生命を産むというサイクルから三位一体的思想を説いており、これ自体は人類普遍の宗教の根底に必ず存在する思想ですから、何もおかしなことは言っていません。

起源を辿れば古代メソポタミア、原始信仰にまで遡ります。

しかしこれを、真理到達者以外の一般庶民が簡単に理解できるのか? 

 

俗世間ではもっと単純に「セックスで悟りの境地に入れる」と考えたのではないか、とみるべきでしょう。

 

しかし恐らく立川流の本来の教えは、「互いを認め合った夫婦が交合したとき、宇宙の真理を見出す。」という方向性のものであり、男女の平等性を表現しているのではないか、と笹間氏は言います。

その点から考えるのであれば、彌永氏曰く、ドクロ本尊づくりは極めて男性的視点から書かれていますので、本来の立川流の思想とはむしろ相反するものと見て間違いないでしょう。

 

実際の性行為を伴なう儀礼


このように、仏教に関する様々な宗派の中には、性行為を悟りに至る手段のひとつとするものから、実践としての性行為を含むものまで存在しています。

この詳細な分類は極めて難しく、説明するこちらとしても頭が痛くなってくるので最小限にしか触れません。

 

では逆に「女犯」を挙げて性行為を罪としているのが日本の主流なんでしょう?というと、そうでもありません。

この部分も大変難しく長い話になりますが、そもそも論として仏教は性行為を禁止していません。

 

「般若心経(はんにゃしんぎょう)」というものを聞いたことはありませんか?

私は実家が曹洞宗ですので、般若心経は何度も読んでます。

特に葬式・年忌での焼香の際は、終了までこれがひたすら繰り返されたので、葬式=般若心経のイメージが強いです。

「般若心経」は正式には「摩訶般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)」といいます。

その解釈に置いて何かととやかく言われる「色即是空空即是色」も、この般若心経内の文言です。

 

さて、曹洞宗では法要の際に、「理趣分経」というものを読みます。この「理趣分経」「理趣経」の分典です。

つまり、後者から前者に分化したものですね。

どちらにも共通しているのは、この経典は煩悩を否定はしていないという点です。

 

この「理趣経」には次の文言があります。

 

妙適清浄句是菩薩位

(人間の一切の行いはすべて清浄である)

 

この妙適は、性行為を指します。

 

そもそも、釈迦がこの部分に対して「実際」どうとらえていたのかはわからない、論争になることも多いテーマです。

またナーガールジュナは、自由恋愛は悟りに至る正当な手段のひとつとしています。

 

 

さて、仏教には右道と左道が存在します。

右道が正当仏教とも呼ばれるものです。

そして左道が邪道と呼ばれるものです。

性行為を伴なうものは、この左道に該当します。

 

従って、性行為を含むものは左道密教と呼ばれたりします。

密教は肉体の苦を以って悟る方法ですから、その左道(邪道)という意味ですね。

 

本当はもっと細かな分類があるのですが、大変に複雑すぎるので、大雑把ですがお許しください。

 

性行為の恍惚で悟りを目指す方法は、主にインド真言密教左道派と、チベット真言タントラ左道密乗です。

 

前者は教えとして徹底した方法ですが、男性からするとこれは苦痛なのでは…という内容です。後者は元々仏教と無関係の生殖器崇拝が、仏教の教理と結びついた結果生まれたと考えられています。

 

 

それではそれぞれを見ていくことにしましょう。

 

インド真言密教左道派の成就法


まず、男性を修習者、女性を女性修習者といいます。

儀式はこの二名と、師(架空・想像上)によっておこなわれます。

 

性交による恍惚は自我への執着を脱却する方法であるとし、その真の恍惚は真摯な性行為によってのみ得ることができる、と考えました。

なお、目的が自我からの脱却ですので、女性側は身分・既婚・生理中であっても儀式には影響しないと考えられました。

これらの垣根への執着は、自我が作るものだからです。

 

ちょっと全部まともに書くと終わらないので程々に要約します。

あと、性的すぎる部分はここの規約上書けませんので省きます。

 

① 満月から八日後か、十五日後の真夜中に行う。

② 男性は沐浴、女性は化粧して全身に香水をつける。

③ 供物を用意し、手順に従い聖域を作り、向かい合って座る。

④ ニャーサというマントラを唱える儀式を行い、男性は自らをシヴァとする。

⑤ 相手女性にも同様に儀式を行い、カーリーとする。

⑥ 師(仮想)がそこにいるという前提で儀式を進める。

⑦ 返盃を行う。

⑧ 互いに抱き合ったあと、男性が女性を愛撫。

⑨ マントラを唱えながら女性のつま先から頭の先まで触れ、最後に女陰を礼拝してそこへ供え物をする。これは、男性が女性を敬う意味。

⑩ 男性が女性の胸・女陰それぞれに対し手をあてて各108回マントラを唱える。

⑪ これに対し女性は男性に、性行為を促すような内容を、自分がカーリーであると仮想しながら命じる。

⑫ 幻覚効果のある麻酔薬を使用した激しい性行為へと移行する。これは長時間継続し、体位も複数用いる。なお、幻覚効果のある麻薬を用いるので激しい恍惚状態となり、最後に男性側が射精して終わる。

⑬ という宗派ばかりではなく、ここで射精を禁止して終了の場合があるので、この場合は大変な苦痛を伴う。

 

 

以上です。

これは、その行為に対する考え方と作法の類似点から、立川流のモデルになったのではないかと言われます。

この源流を辿るとインドの生殖器崇拝(女陰崇拝)に行きあたり、仏教より以前に既にあったこの形式に、仏教が融合したとも考えられています。

 

では、次はチベット真言タントラ左道密乗を見てみましょう。

 

チベット真言タントラ左道密乗の解脱法


ネパール・チベットの密教は、通常の密教とは違い特殊な成立過程を持っています。

源流は先ほどのインド真言密教左道派と近いと考えられ、この根本も古いチベット古代の生殖器崇拝に繋がると考えられます。

 

このチベット真言タントラ左道密乗は、先ほど紹介したものよりも考え方が極端です。

悟りを得る唯一の方法が性行為であるとしているのです。

つまり、これ以外に悟りに至る方法は無いと言っています。

 

この経典には、そもそも性の神秘追及=快感とはそもそも何なのだろう?ということが語られているそうです。

日本人として初のチベット入りを果たした仏教学者・寺本婉雅が、これについて記した著書があるそうなのですが、私は見つけることができませんでした。

 

では、こちらも要約になりますが、儀式の内容を載せます。

 

① 人里離れた山奥か、人の入らない密室で行う。

② 男性は身を清め、相手女性(ダキニ母)と場に入り、マントラを唱える。

③ 作法通りの儀式によって、汚れた欲を捨て祓う。男は自らを金剛菩薩の化身であると仮想し、女は自らをダキニと仮想する。

④ 様々な体位を用いて性行為を行う。これは激しくおこない、その快感によって一切を忘却し、霊肉一致の境地に入る。

⑤ この状態が真の悟りであり、即身成仏の状態であるとする。

 

こっちは普通に密室でする性行為です。

大して儀式と言っても煩わしくもなく、普通に激しい行為という感じ。

薬物は使っていたのかもしれませんが、手元の資料にはその記述はありません。

 

なお、このような性行為を伴なう儀式自体は、現在でもネパールやチベットには残存しているそうですが、それがこのような形式を保ったものなのかはちょっと不明です。

 

中国では受け入れられない思想だった


このような性行為を伴なう仏教派は、なぜ日本流入過程で然程届かず、また左道という淫祠邪教の扱いを受けたのでしょうか。

 

この大きな理由は、布教の経由地である中国では受け入れられなかったからであるといわれます。

このような性行為を含む教理を「タントリズム」と呼びますが(本来のタントラ・タントリズムの意味とは違います。これは俗称としてです。)これは8世紀にインドで流行しました。

しかし儒教思想の広まっている中国では、このような性的価値観は受け入れがたいものです。

 

私は基本的に生殖器崇拝に関して資料を集めたりするのが好きですが、勿論古代中国にも生殖器崇拝の痕跡は存在します。

ただし、痕跡が異様に薄いのです。

あったことは間違いないのですが、国家規模に対して痕跡が少ない。

これは澤田五倍子も自著内で書いているのですが、とにかく記号としての性的シンボルは大変多く存在しても、直接的な性的習俗や痕跡が少なく、これにも儒教の影響があるのかもしれません。

また、もし存在していたとしても、意図して記録に残さなかったのではないか?ともいわれます。

 

しかし、タントラ左道的要素が存在しなかったのかというと、そんなことはなかったようです。

実際、先に紹介した「理趣経」では性行為は清浄だといっています。

その理解はあったということです。

 

 

性というのはいつの時代においても制御の困難なものです。

性と暴力に関する習俗でよく参照される、哲学者・今村仁司の「第三項の排除理論」があります。

これは、集団から排除される第三項についてを述べるもので、いわゆる

「どういう奴が集団からハブられるか」

という話なんですが、このハブられる要因の代表格が、性秩序の逸脱です。

 

性のような扱いの困難な問題は、民俗学者の飯島吉晴は自然災害に近いと区別したのですが、このような不安定な要素を自然宗教ではない教理宗教が統率することは難しいのです。

しかも日本にも儒教的価値観は根付いていました。

 

結局、性に対して各々がどのように向き合うか?を考えてそれを説くよりも、さっさと規制したほうが手っ取り早いのです。

これは現代でもそうです。

むしろSNSで個人の主張がしやすくなって、その各個人の主張に対する価値を誤認しやすくなった時点で、現代のほうがよりややこしくなったとも言えるかもしれません。

 

これはそのスタートに諸説ある「女犯」も案外そうなのではないかと思っていて、男女の和合を説いて、煩悩を受け入れて昇華するよりも、性行為を罪にしてしまったほうが手っ取り早いのです。

 

 

まぁ結局児灌頂(弟子男児との性行為を伴う恋愛関係)だとか抜け道や屁理屈を探すので、抑圧にはまた第三項の犠牲が伴うのですが…。

 

参考文献


「いわゆる「立川流」ならびに髑髏本尊儀礼をめぐって」彌永信美(2018年)

「性と宗教 タントラ・密教・立川流」笹間良彦(2000年)

「まぐわう神々」神崎宣武(2023年)

「受法用心集 Kindle版」(2023年)