試し読み版 

「生殖器崇拝ってなぁに?」

初版2024年9月8日発行

第三版2025年5月25日発行

A5サイズ 172P

 

当ページは、「生殖器崇拝ってなぁに?」の試し読みページです。

内容は、文章・漫画・コラムで構成されていますが、画像と注釈は非掲載です。

無駄に長い注釈と画像データ(漫画・コラム)は、WEBで読んで頂きにくいことが理由です。

 

元々は本用の原稿ですので、少し読みにくい部分があるかもしれません。

試読範囲は、冒頭41ページ付近までの部分です。

 

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第一章 生殖器崇拝ってなぁに?

生殖器崇拝・生殖器信仰って?

 

「生殖器崇拝」とは、生殖器に対する崇拝・信仰を指す、原始的な自然宗教(アミニズム)の一種です。男女それぞれが持つ生殖器(男性器・女性器)を神聖視や崇拝することを指します。

たとえば神体そのものが性器を象っていたり、性器のように見える自然石や樹木であったり、直接的に性器や性行為そのものに魔よけの力が備わっているという考え方まで、非常に多岐に渡ります。ですから一口に生殖器崇拝・生殖器信仰といっても、その意味するところは一つではありません。

 

この崇拝は日本だけではなく、古代の全世界に共通して見られるもので、現代での残存率はインドと日本がトップクラスであるといわれています。ただし、日本のこの崇拝対象はほぼ人間の男女の生殖器が対象(一部例外を除く)ですが、海外の場合は人間以外の生殖器官を崇拝対象とする場合もあります。

また、目に見えた形での残存率として日本・インドがトップクラスであるというだけの話ですので、誰もがよく知る有名宗教の中にも、かつて行っていた生殖器崇拝の名残があります。何故ならこの崇拝は、起源も辿れないほどに最も古い原始宗教・自然宗教の一つだからです。

生殖器崇拝は性崇拝・性器崇拝・生殖器信仰・性信仰・性的崇拝・性神信仰など、様々な名前で呼ばれていますが、本書では基本的に「生殖器崇拝」で統一しようと思います。

 

 

 

原始宗教のひとつである生殖器信仰

 

謎の多い生殖器信仰ですが、正確な起源などは不明とされています。

この信仰は最古の信仰と言われる「太陽崇拝」や「火炎崇拝」「巨石信仰」「祖霊信仰(祖先の魂)」などと同じく原始宗教のひとつです。これら信仰と生殖器信仰はお互いに関連し合い、最も古い自然宗教(アミニズム)の形の一つであると考えられています。

この生殖器崇拝がどのくらい古いかというと、実は有史以前には既に存在したようです。世界最古の文明であるメソポタミア文明には、実に多くの生殖器崇拝の痕跡が見えます。このメソポタミア文明の初期王朝時代は紀元前三〇〇〇年から紀元前二五〇〇年頃と言われています。

 

更に遡って、欧州の旧石器時代(紀元前六〇〇〇〇年前~一〇〇〇〇年)の地層からは、多くの女人像が発掘されています。これら女人像には性器または乳房等を強調したような表現が認められます。この年代は、同年代の地層からマンモスの骨や牙が見つかっているような時代なのです。考古学的にこの古い時代の差異を一〇〇〇年は見積もる事とします。

 

この要素を加味してどれだけ甘く見積もっても、紀元前九〇〇〇年頃には既に生殖器崇拝があったと考えて良さそうです。これは現代からおよそ一万年以上前ということになります。あくまでもこの時点では、既に生殖器崇拝があったと考えられているという話であって、これ以上正確に遡ることは、残念ながら不可能なのです。

 

 ただし、このような太古の性的遺物が「本当に信仰の為に使われていたのかどうか」まではわかりません。呪術など宗教関係のものであるという主張の他には、大人の玩具や、性的鑑賞物(フィギュアみたいなものです)だという主張もあります。

 

一方、日本の最古の生殖器崇拝関連と思われる発掘物(石棒・石剣・土偶)は、縄文時代中期時代のものであることが判明しています。およそ紀元前三〇〇〇年から紀元前二〇〇〇年です。これら発掘物は、縄文時代前期から作られたと見られていますので、更に二〇〇〇年ほど遡ることになるわけですね。

 

このように、生殖器崇拝は海外のみならず、日本においても最古の信仰のひとつと見て問題ないと思われます。

 

 

 

現代日本に残る生殖器崇拝の面影

 

 生殖器崇拝や性神、民俗学などのジャンルに全く興味が無くとも、存在だけは知っている人も多いものは「蘇民(そみん)祭(さい)」や「田(た)縣(がた)神社(じんじゃ)の豊年祭」ではないでしょうか。特に日本で最もわかりやすい形式とビジュアルの「田縣神社の豊年祭」が、現代の生殖器崇拝を象徴的に表していると思います。

 

 田縣神社の豊年祭は、愛知県小牧市の同名神社で毎年三月十五日に行われる大祭です。子孫繁栄・五穀豊穣などを祈願し、二メートルを超える巨大な男性器型を神輿(みこし)に乗せて、御旅所から神社までを練り歩きます。露店や同社では男性器を模した食べ物や奉納物などの販売もあり、海外からの観光客も多く大変な賑わいを見せます。これは恐らく、現在の日本で最も知名度と露骨さが爆発している、性的信仰の関連する祭りではないでしょうか。

 実はこのような性的な表現を伴う子孫繁栄・五穀豊穣を祈る祭りは、田縣神社程の知名度や規模でなくとも、令和時代の日本全国に数か所存在します。

 

 奈良県明日香村の飛鳥坐(あすかにいます)神社(じんじゃ)では、毎年二月第一日曜日に、「おんだ祭り」という奇祭が行われます。これは、神事として観衆の前で夫婦の性行為を模した寸劇が行われるという露骨なものです。最後に性器を拭いた紙を参拝者に投げます。これも祭りの意義としては田縣神社の豊年祭と同様に、子孫繁栄・五穀豊穣を祈るものです。ただ、地域住民の反応は歓迎するものばかりではなく、別の性的ではない形式に変えて欲しいという訴えを見たこともあります。

さて、極端に性的な祭りとして以上二例を挙げました。しかし元々の日本の風習としては、これら性的表現や所作を含む豊穣祈願の祭り自体はそう珍しいものではありませんでした。これらは、現代まで性的表現の部分が残存している例として挙げただけです。それどころか性的なメタファー自体は、全く関係のないと思われる祭りや儀式の中に、現在でもひっそりと残っています。つまり、豊穣祈願の祭りに性的表現を含むことは、かつては至って普通のことだったのです。

実際に、生殖器信仰の遺風を残す神や、ルーツに生殖器信仰を持つ神の主な職能は、五穀豊穣・豊作・結婚・子授け・子の守護・旅の安全・村境の守護・疫病忌避・火の安全・魔よけ・水難除け・狩猟や漁・性病治癒・百日咳治癒・風邪の治癒・眼病治癒…など非常に多岐に渡りますが、この中には明らかに性的な意味のあるものと、一見そうは思えないものが含まれています。ほとんどの生殖器信仰はこの中で特に、五穀豊穣・豊作・結婚・子授け・子の守護・旅の安全・村境の守護・疫病忌避・性病治癒の職能を持つことが多いのです。この中には一見、、性と関係のないような「旅の安全・村境の守護・疫病忌避」が含まれますが、これらのルーツにも生殖器崇拝が関わります。

 

 滋賀県蒲生郡旧桜谷村の山神祭では、相当露骨な祭りが近世まで行われていました。その内容はなかなかハード。村民は木で男性器を模したものを作り、同様に女神の為の女性器を作る。そして祭文を唱えながらそれらを接触させ、最後にはそれらにドブロクの白い汁を掛けます。神幣の紙でそれを拭って儀式は終了。先程の飛鳥坐神社のおんだ祭りに少し似ていますね。

 ちなみにこれが特別に露骨だと思ったら大間違いで、ほぼ似た流れの祭りなら、同県の多賀(たが)大社や新潟県長岡市の金(きん)峯(ぽう)神社、大阪摂津の股倉(またぐら)神社にも存在していました。

 

 信仰、特に民間信仰は様々な要因が複雑に絡み合い、変化を重ねて現在にその形を残していますので、その元々の形を知ることは大変困難です。そしてここには二つのルールというか、長い歴史の中で「そうなってしまうこと」が存在します。

 

ひとつは、「習合(しゅうごう)」することです。

信仰や風習は、様々な他の信仰や風習と混ざり合います。例えば身近な例で言えば、仏教の地蔵尊です。これから詳しくお話していきますが、現在地蔵尊は日本神道の岐神・塞神や、中国から渡来したと考えられる道祖神らと混ざり合い「習合」しています。当初の仏教は在来宗教を駆逐しようと試みたのですが難しく、布教体制を軟化させ、在来の民間信仰と習合し、国家神道以前から存在するような古い儀式が仏教的儀式に形を変えています。視覚的にわかりやすい例として、田舎には神社と寺が隣接しており、双方の管理者が同じということは珍しくありません。

また、東北地方のオシラ様信仰の儀礼は現在お寺で行われていますが、オシラ様信仰を遡るとたどり着くのは平安時代の宮中行事です。そしてそのオシラ様の神体と類似するものは、日本各地の性的在来信仰の祭礼をはじめ、朝鮮半島の在来信仰にも存在します。これらは仏教とは無関係です。

日本は歴史の中に、このような多くの習合を抱えます。ですが同時に、個別の元々の信仰の形を推定することが非常に困難なのです。まるで、オレンジジュースとリンゴジュースなど、様々なジュースを混ぜたら元に戻せないし、別の味のジュースになってしまった上に、どんなジュースがブレンドされているかもわからなくなってしまったような状態です。

 

もうひとつは、「時間経過と共に簡略化され、意味が失われて形式だけが残る」ことです。

これは宗教だけには限りませんが、本来しっかりとした意味や理由があって開始された風習は、やがて時代が進むにつれてほぼ間違いなく簡略化されて元々の意味が希薄になります。

会社社長の立案で、売上アップのために毎月新商品の案を必ず最低一件上げるように、という業務命令が下されたとします。最初は全員それなりにやる気もあって、良い案も悪い案も出ていたのですが、次第にこの新案提案自体が従業員にとって重荷になってきました。やがて新入社員も入り、退職者も出て、管理者(上司)も変わります。最初は二時間程度の会議を行っていたものが、次第に業務簡略化で書類になり、社用アプリでの報告になり、最終的には何故こういう業務が存在するのかという意義すら曖昧になって、形だけが残る。似たような話ならどこにでもありますよね。

何の話だよ、と思うかもしれませんが、習俗も大体これと同じ流れを辿ります。例えばわかりやすいところでは、人身御供(ひとみごくう)の風習もこれです。人身御供(ひとみごくう)の習慣は多くの場合、最初は人間の命を直接的に捧げる風習が、時代と共に動物になり、動物の骨だけになり、動物や人間の形を模したものや作物などになり、最終的には供犠自体が失われるか、金銭に変化するという経緯を辿ります。同様に、現在規模の大きい形で行われているややこしい行程の祭礼であっても、昔の形式よりは随分と簡略化され、意味も失われる傾向にあります。

現代、神社参拝で何らかの願いを叶えてもらうために、供物として誰かの命を差し出したりするでしょうか。しかし古代は、神を動かすためには、自分たちにとって重大な価値のあるものを差し出すという考え方があったのです。

 

少し話が逸れましたが、以上の概念は大変重要です。

 

このような「形式の簡略化・風化」は私達の日常にも普通に起こることですが、習俗や宗教でも同じ流れになるのです。最初、風習の始まりにはしっかりとした意味があり、その理由が現代人には理解できないようなものであっても、当時の彼らの価値観としては正当な理由があったのです。その風習が大変な痛みを伴うものであれば、尚更でしょう。とは言えそれらの風習・信仰は様々な他の風習や信仰と混ざり合い、形式化や簡略化されていくのです。

 

また、これは信仰全般の話ですが、近代に向かうにつれて確実に個人の現世利益を追求し始めます。最初は全体利益や人類普遍の願いを込められた信仰であっても、生活の安定と経済の発展により、個人的な利益を願うようになります。勿論これから本書で語る生殖器崇拝の歴史にも、この傾向が如実に反映されています。

 

こう考えて前述の生殖器崇拝の神の職能を振り返ると、どのご利益が後世に付会させられたものであるのかがわかるのではないでしょうか。先程代表例として挙げた職能は、五穀豊穣・豊作・結婚・子授け・子の守護・旅の安全・村境の守護・疫病忌避・火の安全・魔よけ・水難除け・狩猟や漁・性病治癒・百日咳治癒・風邪の治癒・眼病治癒…等々でした。この中で、個人利益と全体利益の願いを区別すれば、どの職能がより古いものであるのか、なんとなくわかりませんか?

 

このように、現代日本に残る生殖器崇拝からは、もちろん本来の意味は失われている・希薄になっている・紛れてしまっていると考えるべきなのです。

 

 

 

古い時代は女性器への信仰が多かった

 

 これは全世界的な傾向といえますが、時代が古くなればなるほど、女性器信仰・母神信仰が多くなります。必ずではありませんが、日本も海外も、古い時代の生殖器崇拝関連の出土物は女性を象ったものが圧倒的多数です。例えば新石器時代の地層から出た土器や土偶は、女性型のものが圧倒的に多いのです。この差異は男性型の出土品に対し、女性型はその4倍数にあたります。

また、遊牧・漂泊民族には男性器崇拝が多く、農耕・定住民族には女性器崇拝が多いともいわれます。

 

 この理由としてよく挙げられるものに、遊牧・漂白民族は食料調達が困難である場合が多く、食料を多く得る能力を持つ男性の権威が強いというものがあります。この例として、よくアーリア人の父系信仰が挙げられていますが、アーリア人という分類自体が曖昧ですし、アーリア人という括り自体が存在しないという人もいますし、結局アーリア人の関わる宗教の最も古い形には女性器信仰も存在するので、このあたりについては明確な調査もありませんし、何とも言えないというのが実際のところでしょう。

 

日本の生殖器崇拝の父とも言える民俗学者・出口米吉は著書「原始母神論」にて、日本をはじめ世界の宗教の源泉には母神崇拝が存在する旨を語りました。この理由は、原始社会において出産=子孫を繋いでいくことが何よりも重視された点にあります。

 

一八九六年に藤井宇平の訳で日本語訳版が出版されたエドワード・ウェスターマークの「婚姻進化論」では、この原始的文明において、婚姻や出産がどのような価値観で扱われたのかを詳しく記しています。この本は藤井氏の訳で著者名がウェステルマルクになっていますが、実際はウェスターマーク効果で知られるエドワード・ウェスターマークの著作です。現在でもデジタルライブラリーで全内容の参照が可能です。

これによると、原始文明社会では概ね独身男性の地位が最も低く見られ、インドのベンガル州の中部・サンタル地域に至っては、独身男性は非人であるという扱いを受け、その地位は窃盗者と同等のものでした。こもような独身者を軽蔑する考え方は死後にまで続き、独身女性に対する救済策はあるものの、独身男性に対する救済策は存在しない場合が多いのです。このような傾向はインドだけではなく、強弱はあるものの、アフリカ、アジア、ヨーロッパまで全世界に広く見られます。それほどまでに、原始社会では子供を産む行為が人生や社会に置いて最も重大で意味深いと考えられたのです。

 

これらと同様の価値観は、日本にも存在しました。平安時代に編纂された歴史書「日本三代実録」の記述によると、京都の賀茂川と桂川が合流する付近を「佐比(さい)の河原」といい、この場所が後の時代、地蔵和讃(じぞうわさん)にいう「賽(さい)の河原」であるとされるに至ったといいます。

賽(さい)の河原とは、幼くして亡くなった子供がこの地にて、決して積みあがらない石を積んで塔を作るという責め苦を受ける、三途の川の河原を指します。なぜ子供は、死後にこのような責め苦を受けなければならないのでしょうか。

 

これに対し「原始母神論」で出口は「説経節」の次の部分を引用します。

 

罪は自他(ワレヒト)あるが、殊に子供の罪科(つみとが)は、母の胎十月の内、苦痛様々生まれ出て、三年五年七年を、僅一期に先立て、父母に嘆をかける事、第一重き罪ぞかし、云々とて、父母に先立て死る罪で、賽の河原で責め苦に遭うかのように云えども、果たして然るか。

 

 この一説には、昔の日本が如何に妊娠出産を重大に捉えていたのかという価値観が反映されています。これは折角生まれたのに夭折(ようせつ)してしまった子を責めているのですが、この価値観は日本だけのものではありません。

 

 ギリシアにロートフォリアという、亡くなった未婚女性の墓に置く水壷があります。この壷の底には穴があいています。ギリシア女性は十代半ばで婚姻し、そこで初めて大人として認められます。この結婚式の時、誓いの儀式の一部として、参列者の子供がこのロートフォリアで水を汲みます。しかし、墓の上のロートフォリアには穴が開いているので水は流れ出てしまう。つまり、死後に冥府で結婚しようとしても絶対に水を汲めないのです。これは、このような悲劇的状況を表現した風習であるといいます。

 この風習に関わる有名な伝説を挙げましょう。アルゴスの王ダナオスの五十人の娘たちの話です。子供向けのギリシア神話の絵本にも出てくるお話なので、知っている方も多いのではないでしょうか。私は子供時代に学校の図書室の絵本で知りました。

 

アルゴスの王ダナウスとアイギュプトスには五十人の娘がおり、この娘たちを五十人の従兄にあたる男子と結婚させると約束しました。しかしダナウスは、その婿の誰かに殺されるという神託を思い出し、五十人の婿を殺せと娘たち全員に命じたのです。婚姻の夜に娘たちは夫を刺したが、その娘の一人、ヒュペルメーストレーだけは優しい夫を殺しませんでした。そしてこの彼女の夫・リュンケウスの手によってダナウスは殺されます。結果、婿を殺した娘たちは神の怒りに触れて地獄に送られ、底の無い壷に水を満たすために、永遠に水を汲まされることになったのです。

 

 この神話には細部が違ういくつかのバリエーションがありますので、あなたの知っているものと少し違っているかも知れませんが、大事なのはそこでは無く最後の部分です。底の無い壷は未婚女性の墓に置かれるロートフォリアであり、このようにロートフォリアの風習をギリシア神話の中でも確認することができます。

 

 原始文明であろうが近代であろうが、子孫を得ることは人類普遍の目的でした。だから各地には、それを示すような文化が確認できますし、それら世界中の民族にはその規模の大小はあるものの、生殖器崇拝を確認することができます。そして、何故性が崇拝に繋がるのかといえば、妊娠出産という行為そのものが、子孫の存続のみに関わらず不可思議で神秘的なものであるからです。現代でもこの分野は完全に人間の手中にあるわけではありません。そこに発生する畏怖や尊敬の念が霊的な信仰として崇拝対象になることは、当然ともいえます。

 

しかし、生殖行為は女性のみによるものではありません。男性がいなければ、子供を授かる事は不可能です。なぜ原始社会では女性器への崇拝行為が優勢だったのでしょうか。性行為は女性のみで行って子を得られるわけではありません。いくら胎内に子を宿すのが女性であったとしても、時代が古ければ古いほど、女性器信仰に偏るのはおかしいのではないでしょうか?

 

 

 

子供はどうして生まれてくるの?

 

 子供が男性と女性の両性の結合で生まれることは、普通の大人であれば知っています。常識です。

その常識は、いつから常識になったのでしょうか? 受精の瞬間を肉眼で見た事はありますか?

 

性行為を行ってから着床まで十日とします。この期間は最大で十五日程度になることがあるようですし、一説には二十日程の場合もあるといいます。この段階で母胎に症状はありません。悪阻(つわり)のような妊娠に伴う症状が出るのは通常早くて一か月後、最も重い頃が二~三か月後です。ただし悪阻(つわり)は個人差が大きいので、全く悪阻(つわり)様症状が出ない場合もあります。悪阻(つわり)症状には、着床時から分泌が始まるHCGというホルモンが関係していますので、相当早い場合は性行為から半月経過せずに悪阻(つわり)の予兆のような症状が出ますが、これは稀な話です。外見的に目立つのが5か月頃ですが、妊娠二~三か月でも軽い痛みを伴う子宮収縮(お腹がキュウと締め付けられるような感覚)は起りますので、何の知識も無く妊娠しても、三か月から五か月あたりで異変に気が付くとは思うのですが、逆にいえば明確な兆候が誰にでも現れるのが妊娠三か月~五か月です。

 

さて、原始社会で何の知識も無い状態で、最初期から三か月~五か月前の性行為が、本当に妊娠の原因と考えられたのでしょうか。

 この話と同様のことが、エドウィン・シドニー・ハートランド博士の「Primitive Paternity」(一九〇九年)にて語られています。やはり妊娠が発覚してから出産に至るまでの間、原因が性行為であるとはわからない程に時間の経過があるために、一部の原始的民族では妊娠は女性単独で行うもの、との認識があるといいます。

 同様の考え方は、オーストラリアのクイーンズランド州先住民、カリフォルニア湾先住民セーリー人、西アフリカのスレーヴコーストのアウナ人、インドのタミル・ナードゥ州ニールギリ丘陵に居住する少数民族などに見られ、これらの民族では子供の妊娠出産に関して男性性は必要無いと考えています。特にオーストラリアのクイーンズランド州先住民、カリフォルニア湾先住民セーリー人に関しては、性行為と妊娠出産は全く関連の無い別の行為という認識です。インドのタミル・ナードゥ州ニールギリ丘陵に居住する少数民族に関しては、父は妊娠出産の後に儀式で選出するものなので、子供と全く血縁の無い男性が父親となっていることも珍しくはありません。

 

 このように、身ごもるのが女性であることから、文化によっては男性因子が深く顧みられることがなかったようです。この考え方を中心とし、子供を産む女性が柱の母系社会が形成されていきます。

ところで、これらの先住民族は狩猟採集民だったのでしょうか。牧羊などの畜産に関われば、妊娠の因子が何によるものかはわかるものと思いますが…古い時代には農耕をおこなわず、狩猟活動を主とした民族が多いのですが、日本の場合はかなり古くから農耕をおこなっていた形跡もありますので、もしかしたら初期に母系中心信仰となる理由は、他にも様々あるのではないのではないでしょうか。

 しかし、やがて文明の発展により、生殖器崇拝は女性器崇拝よりも男性器崇拝が優勢となり始めます。

 妊娠には男性的因子が不可欠と判明し、次第に男性崇拝勢力が拡大し、地域によっては男性器に対する崇拝が極端に過大視されるようになります。これはやがて母胎を「借り腹」とする思想へ至ります。

 

 特にわかりやすい経緯を辿るのが、ヨーロッパ方面の信仰でしょう。

 ギリシア中部に存在した聖域であるデルフォイは、太陽神である男神アポロンに支配されています。このアポロンによる支配以前は、その全てが女神による支配でした。これはデルフォイの祝詞の中にそれを見ることが出来、かつてデルフォイの主祭神が地の神ガイアであったことがわかります。

 同様の傾向は、オリンポスの女神ヘラ、メデューサ(ゴルゴン)や、フリジア地方の女神イシュタルにも見ることが出来ます。最初期の形式として単独の女神であったものが、後の時代で伴侶を持つか(イシュタル)、もしくは伴侶を持つことで夫より格下の存在となる(ヘラ)、もしくはそれ以外の理由で男神より格下となる例(メデューサ)です。

 

 これらとは違い、この権力を一切男性側に渡さない母子神信仰も存在します。母神デーメーテルと娘ペルセフォネの信仰がそれでしょう。ギリシアのエレシウスの神であるデーメーテルとペルセフォネの場合、この二神は絶対的な自然と生命の摂理の全てを担います。そこに男神の介入は無く、時に信者や僧侶によって、過激な祭礼も行われたようです。

 この傾向は勿論、日本にも見られます。過去に女神を主祭神としていた神社の主祭神が、のちに男神を主祭神とした例には、女性器に対する信仰が男性器に対する信仰に移り行く様を伺うことができます。このような例は少なくありませんが、その中のひとつをご紹介しましょう。

 

 兵庫県の明石に雌(めっ)岡山(こうさん)という標高二四九メートルの山があります。この山頂には姫石神社、裸石神社という二社があり、その裏手に男性器(陽)と女性器(陰)を象った陰陽石が祀られています。

 これは元々、女性器である陰石のみが天然石として祀られていましたが、江戸時代である元文二年(一七三七年)京都吉田家の神宮十寸穂土佐守が命じ、男性器型の陽石を造らせたそうです。以後、陽石のほうが尊重され、有名となりました。この陰陽石については、社寺仏閣調査などを厳しく行った「明石明細帳」「播磨(はりま)鑑(かがみ)」にもこの経緯の記載は無く、このようにかつて女神崇拝の神社などに後の時代に男神が付会・もしくは台頭させられたものの、明確な記録は無いままに遺風や痕跡のみが伝わることは珍しくありません。京都の伏見稲荷大社にすら、似たような流れがあったと考える研究者もいるのです。

 

 日本神話の伊邪那(イザナ)岐(ギ)・伊邪那(イザナ)美(ミ)の国造りの神話に関しても、それ以外の天照大御神(アマテラスオオミカミ)を巡る神話群との間にはその毛色に大きな違いがあります。これに証拠などがあるわけではありませんが、成立がそれぞれ元々別の神話系統だったのではないかという説が存在します。実際に「古事記」「日本書紀」などの記紀神話は、それ以前にあった神話を編纂して出来た書ですので、それ以前、記録には残っておらずとも神話体系の元形が存在したのです。

伊邪那岐・伊邪那美の国造り神話は有名なものですが、念のため概要をご紹介します。細部の簡略化にはお目こぼし下さい。

 

伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の国造り神話「美斗能麻具波比(みとのまぐわい)」

 まぐわいとは性行為を指す古語です。つまり、兄妹神である二神・伊邪那岐と伊邪那美が夫婦としてまぐわい、国土や神を生成する神話を指しています。

 二神は混沌としていた国土を生成するように命じられ、「天沼矛(アメノヌホコ)」で混沌とした地上をかき混ぜて、「淤能碁呂島(オノゴロジマ)」という島を作りました。二神はその島に降り立ち、「天の御柱(アメノミハシラ)」と「八尋殿(ヤヒロドノ)」を建てる。天の御柱は結婚の儀式で使用する廻り柱のことを指します。八尋殿は、そのための広い殿舎です。美斗能麻具波比の美斗は寝所のことをいうので、これは結婚と子を授かる儀式に必要なものを全て揃えたという意味です。

 まず女神である伊邪那美が先行し「ああ良い男」と言いながら御柱を右回りに廻る。次にそれに応えて男神の伊邪那岐が「ああ良い女」と御柱を左回りに廻る。そうして行った交合での妊娠は失敗に終わり、不具者水蛭子(ヒルコ)が生まれる結果となった。二神はこの子を葦船に乗せて流してしまう。(この詳細は古事記と日本書記で少し違います)

 なぜ失敗してしまったのか知る為、二神は天津神(天の神々)にその理由を占って貰うことになる。すると、先に女性である伊邪那美から誘って性行為を行ったから失敗したのだ、ということを告げられます。

 二神は次こそはと、今度は先に男性である伊邪那岐から誘うことで儀式をおこなうと、ようやく国土を産むことに成功したのです。

 

以上が伊邪那岐と伊邪那美の国造り神話の概要です。

 この中で、女性から性行為を誘ったことが原因で失敗したという描写がありますが、この描写そのものが後から書き加えられたものではないかという意見もあります。実際にこの創世神話は、伊邪那岐と伊邪那美の二神の子が神武天皇の血脈に繋がるため、国家思想的にも大変重要な神話でもあるのです。この重要な部分に対し、手が加えられることは必然といえるでしょう。

 

 尚、この種の創世神話は日本だけのものではありません。類型は世界各地に存在しています。特に沖縄周辺の創世神話はこのような「兄妹始祖型」と呼ばれるものであり、台湾やアジアに点在する、非常にスタンダードな神話形態です。

 注目すべきはこの沖縄周辺の兄妹始祖神話で、このいくつかには複数「最初の子が不具者だった」というものやそれに近い話が存在します。これが日本神話の水蛭子(ひるこ)と関連があるとしても、それらには「女神が先に誘ったから失敗した」というエピソードが存在しないので、この部分は後から書き加えられたとする主張があることは、根拠あってのことだろうと思います。

 

 このように最初に女神信仰があり、後に男神信仰勢力が増した場合を「Mistic Bose」に於いて著者クローレイ氏は、闘争し優劣を競うか、調和するかのどちらかになると述べました。これも、〇〇国のこの時期の信仰は前者で、××国のあの時期の信仰は後者だ!という極端な話ではありません。

 なぜなら聖書の記述ひとつ取っても、前者的に女性の妊娠に借り腹という思想を用いる部分もあれば、後者を示すような男女両性具有の神の記述が登場するからです。聖書内のこの手の記述は、その成立時期や場所により大きな振れ幅があります。

 

 とはいえ傾向としては、生殖器崇拝の最初期は男性性の重要性が誤認され軽視されており、崇拝対象は女神や女性器に対するものが優勢でしたが、次第に男性性の重要性が理解されるようになります。そこに対し様々な要因で男神・男性器崇拝が女神崇拝を凌ぐ形で広まります。ただ、女神崇拝は駆逐されたわけではなく、その文化に応じた形で両性への信仰が形成されます。

結局、男性性も女性性も子孫繁栄のためには不可欠なのです。

 

 これを現すように、特にアーリア人文化圏には特に古い時代、両性具有の神の存在も多く見られます。日本では明確な両性具有神は存在しませんが、性別概念の無い神が存在し、インドには両性具有神が多く存在します。それぞれの文化圏により、信仰の形や流れも様々なのです。


第二章 日本の性の神様

日本の生殖器神たち

 

 日本の生殖器崇拝に関する研究は、決して盛んとはいえません。これには様々な事情や理由が存在しますので、また後述しようと思います。まずは、日本の主たる性を司る神々についてご説明しましょう。日本の生殖器崇拝の本流は国家神道とは違い、民間信仰です。それは神名帳に名も無いような街角の神様や、ちいさな神社の神様がほとんどです。現在は国家神道の神様が祭神となっていることが多いのですが、この多くは近年の後付けである可能性が高く、元々は別の神様であった場合が多いのです。

 民間の信仰や習俗は、記録が少なく研究が困難であるとされます。貴族の信仰や習俗は書物などに記録が残されていることが多く、この時代はこうだということが分かりやすいのですが、民間では詳細な記録が残っていることが少なく、時代を遡れば遡るほどに貴族文化とは比較にならない程、記録が乏しくなるのです。

 この状況に加え、生殖器崇拝に関しては明治以降、新政府の指示により、多くの資料が失われてしまいました。この経緯については後述しますが、拙ブログでもかなり詳細な経緯をまとめていますので、ご一読いただければ把握できるかと思います。

 

 日本の生殖器崇拝は、大きく分けて二種類存在します。

 ひとつは、男女の生殖器の実体やその作用を崇拝するもので、インドを中心に日本のみならず全世界にその痕跡が残っています。日本国内なら、第一章でご紹介した奈良県の飛鳥坐(あすかにいます)神社のおんだ祭り等がそうでしょう。性的な儀礼で豊作を祈るものは、その豊作に子孫繁栄の作用を重ねてあるものですから、生殖器そのものへの崇拝思想が根底にあるということになります。

 もうひとつは、金属・石・土・木で作った生殖器形状の神体を崇拝する行為です。これは現在の日本でもまだ確認することができます。こちらも第一章でご紹介した、愛知県の田縣(たがた)神社の祭りがわかりやすい例えでしょう。巨大な男性器を模した神体を祀りますが、当然、女性器の場合もあります。

 

 ただ、これらは二種類あると言っても相互関係にあり、一つ目の実体信仰から、二つ目の神体信仰が生まれたと言われます。

先程、日本の生殖器崇拝は国家神道よりも民間信仰が本流であるとは書きましたが、当然、前章で伊邪那岐と伊邪那美の国生み神話について触れたように、国家神道にも性的な記述が隋書に見られます。同様に国家神道と民間信仰にも明確な線引きが出来るわけではなく、そこには相互関係が存在します。今から紹介する日本の代表的な生殖器崇拝神も、様々なものが混ざり合って存在しています。

それまで口伝だったと思われる神話群を編纂した、日本の大系的神話である「記紀」の記述ですら、後年書き加えられ、変更されたのだろうと思われる点が多々あるのですから、民間信仰に至ってはそれ以上に混沌としています。地域差や、仏教・道教の習合や、識字率の低い時代の言い間違えから分化したと思われる神様までいる始末ですから、あくまでも代表的な範囲でご紹介します。

 

 

 

岐神(くなどのかみ)・塞神(さいのかみ)

 

 「日本書紀」には、岐神という神が登場します。読み方は「くなど」「くなと」「ふなと」等がありますが、これを布那斗能加微(ふなとのかみ)と読みます。道祖神・塞神・猿田彦神・地蔵尊・道饗神などと多く習合していますが、概ね村境・道端・辻などに祀られる民間信仰の神様です。職能は様々(地域差もある)ですが、主には村境で悪霊などの侵入を防いでいます。その姿は男女の生殖器であることが多く、特に男性生殖器が多いといわれます。しっかりとした社殿を持つ場合から、道端にあるお地蔵さんとほとんど見分けのつかないもの、山中に雑然と石製の神体が置かれているものまで様々ですが、関東・東北を中心に全国各地に存在し、その大半は小さく粗末なものが多いです。現在は生殖器の姿は失われているものや、存在そのものが失われている場合がほとんどです。その総数は過去のどのような調査でも完全な把握は不可能で、相当減少した状態の昭和初期の調査でも六三九基(「図説 性の神々」西岡秀雄)とされています。

 

 さて、名前の読みである布那斗(ふなと)と久那斗(くなと)は同一の意味であるといい、岐神と習合・もしくは類似の役割の民間信仰神の祭である道饗(みちあえ)祭詞には久那斗(くなと)という記述があります。そして布那は經莫(ふな)、久那は来莫(くな)とも書きます。

 「經」は、一定の時間・場所・行為などを経過する,又は経る、の意味を持ちます。

 「斗」は「処(處)」であり、此処より来る莫(なか)れという意味です。

 つまり「布那斗(ふなと)」=「岐神」は、黄泉の国から来る悪鬼邪霊を防ぐという意味を持っている名前であることがわかります。

 

 では、この岐神はどのような姿をしているのでしょうか。「日本書紀」と「古事記」にはそれぞれ次のような記述があります。

 

即投其杖、是謂岐神也。 「日本書紀」

故於投棄御杖所成神名衝立船戸神 「古事記」

 

 このように、日本書記・古事記ともに杖状であると書かれています。そして道や境界を守り、姿が棒状をしている神様は実は日本だけの話ではありません。ほぼ同じ姿と職能で表される神は、朝鮮半島や中国、ヨーロッパにも存在しています。(注14)

 

さて、ここまでは岐神について書きましたが、では塞神はどうでしょうか。近代に於いて、民間信仰の岐神と塞神は完全に習合していることが殆どで、その違いはあまりなく、祭文などにも同一の神として祀られています。職能も岐神と同じく、村へ悪霊などが侵入することを防ぐことが主であり、その姿も男性器であったり女性器であったり様々ですが、神体のほとんどは男性器を模しています。

塞神も岐神と同様に、「古事記」「日本書紀」に登場しています。

まず「日本書紀」には泉門塞大神(よみどのおおかみ)、別名・道反之大神(ちがえしのおおかみ)が登場します。次に「古事記」を確認すると、そちらには塞坐黄泉戸大神(さやりますよみどのおおかみ)とあります。更に、「書記傳」8には泉門塞大神(よみどのおおかみ)は、泉門佐閇之大神(よみどさへのおおかみ)であるという記述があります。ではその姿はどのようなものでしょうか。「日本書紀」には、塞神の姿は、石を祀ったものと記されています。杖である岐神とは違い、塞神の姿は石なのです。

 

後世の信仰や書物で岐神と塞神はよく混同されていますが、岐神は杖状で塞神は石なので、元々は別の神であることがわかります。混同されたのは、元々その職能が近しいことが原因でしょう。ちなみに、この姿を絵巻で見ることが出来ます。日本の国宝指定されている「信貴山縁起絵巻」という絵巻物がありますが、この中に最古の絵としての塞神の姿を確認できます。丸い石の周囲を、いくつかのシンプルな幣で囲ってあり、横には小祠があります。これが当時、岐神と呼ばれていたのか塞神と呼ばれていたのか、はたまた道祖神と呼ばれていたのか不明ですが、「記紀」を参照するのであれば、この丸石は塞神であるということになります。

 

「日本生殖器崇拝略説」出口米吉(一九一七年)及び、「性的神の三千年」斎藤昌三(一九二一年)で両氏は、岐神は男性器形を神体とする男神で、塞神は女性器形を神体とする女神であると記しました。

これは古代に始まる巨石崇拝信仰において、柱状の石を男性器のシンボルと見なし、また丸石若しくは丸石に亀裂や窪みのあるものを女性器のシンボルと見なし、それぞれを崇拝したことから来ていると考えたのです。このモチーフ自体は実は日本独自のものではなく、全世界の古代の生殖器崇拝のシンボルとしては普遍的なものです。ただし、岐神が男性で塞神は女性であると言う明確な記述はどこにも存在しませんので、特に出口米吉はこれを「先に男女の生殖器に対する原始的崇拝と巨石崇拝があり、ここに岐神と塞神が結びついた」という解釈を取られました。

そして出口米吉最後の生殖器崇拝関連出版物となる「原始母神論」(一九二八年)に於いては、先に山岳信仰や巨石信仰と生殖器崇拝が存在し、その概念が日本神話内に取り込まれている可能性について触れています。

 

さて、ここまで岐神と塞神について書いてきましたが、そもそも神話においてこの両神はどのような役回りをしているのでしょうか。岐神と塞神がどこに登場するのかを踏まえながら、日本神話の「黄泉国訪問」の物語を見てみましょう。黄泉国とは、一般的に死後世界を指します。