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なぜ性神は排斥されたのか?~性器形態神近代史~

なぜ性神は排斥されたのか?~性器形態神近代史~

※この記事は長いです。前後編に分けるのが嫌だったから全部書きました。

 つまり2記事分の量があります。

※多少の下ネタとBL(男性同性愛)要素を含みます。

 

※先に「性器信仰・生殖器崇拝(性崇拝)って何?」の記事を見ておくことをオススメします。

 そちらでは起源について超簡単な説明をしています。

 

※キャラクターの紹介はこちらからどうぞ。

性崇拝(性器信仰・性神信仰)の話をするために、まず知っておくべき基礎知識があります。

この話は神話ではなく、現実の歴史の話です。

 

そしてこれは過去の話ではなく、今なお続いている日本人の性への価値観がどのようにして変化したかという話です。

 

皆さまご存じ、天照大神(あまてらすおおみかみ)や素戔嗚尊(すさのおのみこと)、月読尊(つくよみのみこと)が登場するのは「国家神道(こっかしんとう・こっかしんどう)」と言われるものです。

一般的な神社の主祭神を見ると、この3神や大国主(おおくにぬし)とかが多いのかな?

 

あと、稲荷神社だと主祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が多いと思います。

この宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)も、国家神道の神様です。

 

稲荷神と大口真神

これらの神様は、幼児向けの絵本にも出てくる、日本神話のスターです。

「日本書紀(にほんしょき)」「古事記(こじき)」など、天皇の系譜に関係するような、天皇のルーツにも纏わる神話です。

 

だから「国家神道」なのです。

 

 

ただ、よく考えて欲しいのですが、日本国民の大部分は地方の農村の農民です。

これらの農耕従事者は、国民の8割以上の数です。

彼らが終生、自分の村から出ない…というのは、古い時代では珍しくありませんでした。

 

農民の素朴な生活を支えた神様は、村の入り口などにある「道祖神(どうそじん)」でした。

これは、現在田舎ではほとんど「お地蔵様」の形になっています。

(お地蔵様=道祖神ではないよ。)

 

かつてこの多くが、性器の形態を持った神様でした。

特に東北や関東、信州~甲州にはこの傾向が強いですが、分布としては全国どころか、離島にまで及びます。

 

ちなみに、この道祖神は「日本書紀」「古事記」の猿田毘古神(さるたひこのかみ)と習合しているので「国家神道の神様じゃないか!」と言われそうですが、長くなるのでまた別の機会に説明します。

これは後の時代に結び付いたという説が非常に強く、そもそも道祖神=性器形態神ではないし、猿田毘古神=道祖神でもなければ猿田毘古神=性器形態神ではありません。

 

 

「お互い元々は関係はないけど、近しい事情があるので現在は結びついている」、と簡単に捉えてください。

 

 

「性器崇拝」という宗教形態は、一応最も原始的宗教であると言われており、多くの国の原始的な宗教には性器崇拝の形式が見られます。

当然日本であってもそれは同じ。

最古のものとしては、縄文時代の出土物に性器関連物が多いです。

 

この辺の、最古の性器崇拝に関してはこちらの記事をご覧ください

この記事では近代の話をしたいと思います。

 

 

さて、日本人の大多数である農民の生活の記録は乏しく、貴族ほどの記録は残っていません。

これは歴史的にどの分野においてもこの傾向があり、歴史の教科書で習う内容も、当時の裕福層の話ばかりですよね。

 

 

しかし、平安時代中期の「本朝世紀」(938年)には、既に当時の奈良県の庶民の間で性器の形の道祖神が熱心な信仰を集めている事が記録されています。

貴族の目線で書かれている短い文章には、後々のお話で大変重要になる、この奇妙な姿の神様についての手掛かりが隠されています。

 

この道祖神や性器形態神についての民間信仰は、現代までの150年足らずでその地位をほぼ失いました。

 

日本の大多数の信仰を集めていた神様が、どのような経緯を辿って現在、消滅の危機にあるのか。

それをこれから解説していきます。

 

 

最近は何から発生したのか知りませんが、日本神話や神社参拝がブームになっています。

 

立派で煌びやかな神社やお寺・神様もいいんですけど、ほんの少しでもいいから、真の意味で庶民の生活を支えていたこの奇妙で小さく露骨な姿の神々の事に、意識を向けて頂けたらと思います。

 

 

 

明治政府の「太政官布告」が運命を変えた


江戸時代が終了し、明治政府が生まれたのは今から約155年前の1868年(慶応4年)1月のことです。

 

これは割と最近なので、戸籍謄本であなたのご先祖様の名前を確認することもできるかもしれません。私は出来ました。

 

なが~く250年以上続いた江戸幕府と鎖国は終わり、日本には天皇を中心とした新しい政府が誕生しました。

 

明治政府は今までの江戸幕府とは全く違い、「富国強兵(ふこくきょうへい)」を合言葉に欧米列強を強く意識し、グローバルな国を目指して様々な改革を行いました。

 

そのひとつとして、明治政府から発された“お達し”に「太政官布告(だじょうかんふこく)」がありました。

ちなみに、この「太政官布告」の中には現在でも法令として効力のあるものもあります。

話の本筋ではないので、詳しく知りたい方はWikiやデータベースを見てください。

 

 

この「太政官布告(だじょうかんふこく)」の中で、明治5年(西暦1872年)3月に次のような公布がなされました。

明治6年との記録もありますが、正しくは明治5年で間違いありません。

これは、現在でもデータベースで確認することができます。

 

「従来遊女屋其他、客宿等に祭りある金精儀、風俗に害あるを以て、自今早く取棄て、踏み潰すべし」

 

金精儀とは、性器形態神のうち、男性器(ペニス)形の神体を持つ神のことを指しています。

 

 

つまり、「男性器の形をした神様は、風紀的に害があるので全て取り潰せ」という法令です。

この裏には、日本が欧米列強に肩を並べるために、国際的な価値観にそぐわないものを徹底排除するという明治政府の方針が存在していました。

 

ただし、この布告に罰則はありません。

今は存在しない形式の法令で、ちょっと簡単に説明するのが難しいものなのですが、強度としてはコロナ下の緊急事態宣言くらいの感じだと思ってくださいね。

 

つまり、概ね皆従うけど、東京では重く受け止められ、地方では東京ほど重くはなかったようです。

 

この時の東京都内での様子が明治5年4月8日「東京日日新聞」

「東京の川では、投げ捨てられたご神体が川面を埋め尽くし、川が大量の亀頭だらけで笑ってしまう。」(意訳)

…という風に記されています。

 

 

一方、都会ではなく当時の農村でこの法令がどのように受け止められたのかは、小坂橋靖正氏の「妙義山麓の性神風土記」に詳しく書かれています。

 

大抵は、この法令を受けてしぶしぶ性器の形をした御神体を焼却したり、土の中に埋めたりしたようです。

この傾向は、都市部や観光地に近いほど強かったとのこと。

 

ただし、外国人の出入りの少ない地域は政府側も放置しており、住民もそれほど気にしていなかったようです。

なぜならこの法令自体が、かなり来日外国人の目を気にして発令されたものだったからです。

 

露出が多いのは非文化的で、文化人は性を隠すものなのだという明治期の論調

「太政官布告」に対する国内外の反応は?


乱暴に言ってしまえば、これは海外の目を過剰に気にして、容姿の悪い自国の信仰を隠ぺいした行為でした。

 

この時代、海外から見れば、「このような露骨な姿の神様を信仰している=野蛮人だと思われてしまう!」という明治政府の判断基準で出された法令でした。

また政府の内部で力を持っている長州藩(山口県)が、かねてより国家神道以外の小さな神様に対し淫祠邪神扱いする思想を持っていた事も関係したと思われます。

(幕末には、複数の反邪教本を出版しています。)

 

 

実際、都市部や観光地では政府・警察の目が厳しくかなりの数の性器形態神が破棄されたようです。

しかし、どんな形をしていようが、これは少なくとも奈良時代には既に信仰されていた事が文献に残っている歴史ある神様です。

農村では、結婚・子供・病気・生活そのものを司る、長い歴史と厚い信仰を集めていた神様を廃棄するという行為を、例え政府が支持しても信仰が許さなかった面がありました。

 

結局、廃棄後に「祟りがあった!」という事で騒ぎになって掘り起こしたり、神体を作り直したり、祀り直す事例が複数あったようです。

この辺の事は、小坂橋靖正氏の「妙義山麓の性神風土記 上下巻」(1981年)にその当時を知る方の証言が記されています。

 

 

なお、西岡秀雄氏の「性神大成 日本における性器崇拝の史的研究」(1956年)および、「図説 性の神々」(1961年)にはこのような性器の形をした神様の分布が詳細に記載されています。

それによると、全てを綿密に調査している状態ではないにも関わらず、全国に630基を超える数が存在していました。

 

これは、「太政官布告」で多くの性器形態神が破棄された後の状態ですので、それ以前はとんでもなく膨大な数が存在したと言われています。

特に、東京・大阪・京都・塔街道筋・日光街道からは根こそぎ撤去されています。

 

 

その中でも大阪・京都周辺に性神は不自然なほど少ないです。

これは、一時期ネットで話題になった「性神マップ」を見て頂ければ一目瞭然かと思います。

 

この原因としては元々信仰が薄かったからでは?とも言われますが、平安時代中期の「本朝世紀」(938年)によれば、平安時代中期の平安京で、既に性神が多くの一般民衆の信仰を集めているという文献があります。

このように、古い「性器形態道祖神」の文献が平安京ですので、関西に信仰が薄いという訳ではないでしょう。

 

関西とみられる文献はこれ以外にもありますので…。

 

 

この原因としては、前述したように長州藩が性器崇拝を忌み嫌っていたことにあると思われます。

国家神道以外の小社を嫌っていた長州藩ですが、中でも特に嫌っていたのが性器形態神だったようなので。

 

長州藩について話すと脱線がやばいので、銀魂でも読んで桂と高杉に注目してください。

高杉とか性器崇拝嫌いそうでしょ?(適当にも程がある)

 

ちなみに、日本の生殖器崇拝の文字での記録の最古のものは8世紀(奈良時代)です。

奇しくも生殖器崇拝を激烈に否定する、仏教研究家の手でその記録が挙げられています。

これは後で語りましょう。

 

流行の風潮

 

では、海外の目を必要以上に気にしたこの法令、当の外国人はどのように受け取っていたのでしょうか?

 

1957年(昭和32年)に、安田徳太郎氏が書いた「人間の歴史6」の前書きにその事が触れられています。

安田徳太郎氏の著書は経歴故の信ぴょう性の欠如からあまり資料として用いられない…という経緯がありますが、ここに関しての私の考え方は以前の記事で書いているので、異論のある方はスルーするかそちらを確認してください。

 

彼が当時の農村の信仰や社会情勢を色眼鏡なしに書いたであろう部分は、ちゃんと貴重な資料として受け取るべきだと思いますので。

 

さて、安田氏が言うには、明治政府が農村の性神に対して行った弾圧は、神体の破壊のほかに、お祭り自体も風紀を乱すとの事で解散を命じたようです。

 

これについて外国人は、

 

「日本人の性器崇拝は敬虔なものであるのに、なぜ野卑(やひ)な吉原遊郭を残して、真面目な庶民の神様の方を弾圧するのか?」

 

「明治政府は農民の信仰や祭りを取り上げて、農民から人生の楽しみを奪い、彼らの農地までも取り上げて都市や工場に追い込んで、日本を軍事国家と大工業国に変えてしまった。」

 

という事を言った書かれています。

 

 

ここに書かれていた海外の反応を見て見ると、案外外国人のほうが俯瞰して物事をみているな、という印象です。

 

しかし、性器形態の道祖神について苦言を呈している外国人ももちろんいます。

特に、明治期のアメリカ人女性(名前忘れちゃったごめんなさい)は、道に平然と性器の神体が祀られてるのは目のやり場に困る、と記しています。

 

でもどちらかというと、その多くの苦言の矛先は吉原遊郭や、堂々と販売されていた春画のほうでした。

 

 

実際、このような(庶民にとっては勝手な)法令が発布されるにはちゃんと経緯があるんです。

その理由を語り出すと記事が長くなりすぎるので、めちゃくちゃかいつまんで説明します。

 

この「太政官布告」が発令された同年である明治5年、マリア・ルーズ号事件が発生します

詳しい事はwikiでも見てください。

この事件がきっかけとなり、

「日本は遊郭で働く女性を人身売買で調達してるだろ!」

と、日本は欧米諸国からガチ詰めされました。

 

この結果、日本政府は形式だけのザル法である「娼妓解放令(しょうぎかいほうれい)」という、遊郭で働く女性への様々な規制の法令を発布し、性神はそこに巻き込まれて一緒に弾圧された感じです。

何故なら遊郭では特に性神が重宝・信仰されていたからです。

 

性神は本来、遊郭の神ではありませんでした。

しかし時代の流れとともに、現世利益的に遊郭で珍重されるようになったという経緯があります。

自分のこだわりは、流行を理由に翻す程度のものだったのか!?

江戸時代以前の性に対する考え方は?


江戸時代以前の日本の性意識について、詳細に書かれた専門書は今のところ見た事が無いのですが、色々な文献や書籍・伝承を読んでいると、「こうではないかな?」というその片鱗が伺えます。

 

別に貞操観念が無かった訳でも、羞恥心が無かった訳でも無いんです。

ただし、根本的に現代人とは感覚が異なります。

 

 

「雑魚寝(ざこね)」と呼ばれる乱交パーティーに見えるものや、以前の「おっとい嫁じょ」の記事に見られる風習の誤解で、昔はもっと性的に解放されていたと思われがちですが、そもそもこれは風習の違いや誤解であって、性的に奔放な事が肯定されるだけの社会ではなかったようです。

 

そもそも、儒教や仏教も早くに根付いているのだし、普通に性に対する羞恥心もあります。

ただし、細かい部分での文化や風土、認識が現代の常識とは違うという事です。

 

 

実際に、東北に見られる婚姻儀礼の中には、わざと新婦に性的なドッキリを仕掛けて、緊張でカチコチになった新郎新婦の緊張をほぐそうという目的に取れるものがあります。

これは、性に羞恥心が無ければ成立しないネタです。

 

ネット記事では「江戸以前の日本人は一夫多妻が普通だった」とか書いてるものもありますが、それは一定以上の身分の人たち・一部地域の話であって、国民の大多数にはあまり関係のなかった話と思われます。

ただし、離婚再婚は地域によってはめちゃくちゃ多かったことは事実です。

 

また、処女を忌む風習も多く、破瓜(はか・処女喪失のこと)を赤の他人に依頼するなど、根本的に価値観が違います。

だからって、誰とでも性交するわけではない。

 

ただし外国人宣教師の残した記録を見る限り、貴族・武家以外の一般の独身女性は割と性に奔放だった可能性が高いです。

彼氏とのお泊りを、親が黙認しています。

それでも結婚後に、そのような奔放さや不貞が認められるようなことはありませんでした。

 

なんかこれ、一周回って現代人に近くなってる感じあるんですけど。(逆か…)

 

 

また性関係の民話には「巨大伝説」という系統の話があって、個人的に収集しているのですが、何が巨大かっていうと性器なんですけどね。

 

この中で最もメジャーと思われる話は、自分の身長並みにでかい男根を持つ男が「こんなんじゃ結婚できないよ~一回でいいからセックスしたいよ…(T_T)」と嘆く話です。

これも同情した若い女性複数人(既婚者)は、「セックスさせてあげることは出来ないんだけど…」と、貞操を守りながらも乳房だけこっそり見せてあげる訳です。

 

また別の巨大伝説の話の中には、「金に目がくらんだ実母の指示で、女房が亭主に内緒で巨大男根を持つ男と一夜を共にする」という話がありますが、不貞行為の露呈後は首を吊ってしまいます。

 

 

他にはこれに反する「一夜妻」の風習なんかもありますが、この場合にはその風習がある土地故の合理性が存在しています。

 まず既婚者に対して貞操観念は存在して、それを覆す合理性がある場合のみ、反する風習があるという具合です。

 

ですが、この性に対する庶民感覚に大きな変化が訪れたのは、やはり開国後でした。

 

道祖神の声を聞いて、自分自身を顧みろ

「造化機論」という明治のベストセラーがもたらした性知識


開国後の明治8年(1875年)「造化機論(ぞうかきろん)」という本が、日本国内でベストセラーとなります。

「造化機(ぞうかき)」とは性器のことを指します。

 

これは、1774年に出た「解体新書(かいたいしんしょ)」の性知識版という内容で、翌年である明治9年には一般人向けに「通俗造化機論(つうぞくぞうかきろん)」として優しくわかりやすい内容に改定したものが発表されました。

 

これは当時のベストセラーでありロングランヒットともなり、様々な類似書をこの世に送り出す結果となりました。

 

つまり、この「造化機論」の内容が、当時の一般大衆に対して「これが最新の性に対する科学だ!」という風に広まったということです。

 

この本はもう誰でも知っている・読んだことのあるレベルの大流行でした。

面白半分な読者まで含んで一般大衆に爆発的に広まってしまった事で、一種のエロ本扱いまでされるような状況だったといいます。

 

が、つまり、それくらい凄まじい認知度だったという事です。

一時期は、どこの家にも1冊あったような状態だったとか。

 

 

この「造化機論」は、アメリカの性科学者ジェームズ・アストン(James Ashton)の本を、日本人の武士であった千葉繁が翻訳したものです。

一部、千葉の意思で未収録未訳の部分もありますが、基本的には原書に忠実に翻訳されています。

 

この本の中身は現代人が見たら、何かの間違いでは?と思ってしまうような性知識が平然と“科学”として取り扱われています。

中でも強烈なのは「三種の電気説」というものです。

 

また、この頃ブームだった「自慰有害論」も当然取り扱われており、オナニーしすぎると肺結核、リウマチや神経症、貧血や局所麻痺などとんでもねーことになるぞ!という事も平然と書かれています。

 ここには科学と称されながらも欧米の宗教観バリバリの性観念、当時の性医学の常識が埋め込まれており、そんな事は書いていないながらも、総合すると「キリスト教的性価値観であれば大丈夫」的な事が書いてあるわけです。

 

まぁこの本、他にもめっちゃ面白い事沢山書いてあるんですが、そこ本筋と逸れるんでこの辺にしときます。

つまり、このような本が明治には「誰でも持っている」レベルで普及していたという事です。

 

 

この「造化機論」は明治30年代には医学会から敵視されるようになり、大正2年(1913年)には発禁処分となってしまいます。

ここで「造化機論」には終止符が打たれる訳ですが、この本が一般庶民の性知識や価値観に及ぼした影響は、非常に大きいと考えます。

実際、この本は現代でも古書市やネット通販で普通に買えます。

令和の日本でもこの状態ですから、発禁処分になったからって、すぐに内容を撤回出来るわけではありません。

 

結局「造化機論」の言う最新科学は科学でもなんでもなかったわけですが、何かの定説が後年ひっくり返る事なんて今でも充分あるんだから、別に昔の人が愚かだとかそういう話ではないです。

 

ご神体が言うから脱ぐだけなんだからねっ

明治から大正、そして昭和へ…


明治政府の樹立以降、明治33年頃まで様々な農業政策が打ち出されました。

そして新しい欧米の文化・価値観の流入、都市化、工業化の波により、瞬く間に人々の生活は変化していきました。

 

安田徳太郎が自著内で

「日本のインテリは、明治以来、農民的なもの、職人的なものを卑しいとみるように教育されたし、ヨーロッパ文明に対する劣等感から、じぶんの国の文化や民族性を軽蔑して、これをふみにじることを進歩と考えた。」

と述べている。

 

実際、神前式結婚式はちょうどこの頃から始まった都会的な国家神道の神社で行うという一種のムーブメントでした。

明治政府の中で強い力を持つ長州藩の思想自体が「国家神道=正教」「それ以外=邪教」だったわけなので、依然道祖神信仰などの雑神が弱い立場に追いやられていた事は事実でしょう。

 

また斎藤昌三「性的神の三千年」では、大正時代にも政府が8千円(現在の貨幣価値で約3千万以上)の予算を投じて、淫祠邪教駆逐を謳ったことがあったようです。

淫祠邪教(いんしじゃきょう)とは、いわずもがな、各農村に祀られていた道祖神・生殖器信仰・性神などのことです。

日露戦争・日清戦争の際にもこの風潮はあったようで、富国強兵に於ける国力増強と、国家神道への信仰強化が関連していることは間違いないのではないかと思います。

 

更に、神崎宣武氏の「まぐわう神々」によると、第二次世界大戦の最中にも、淫祠邪教(いんしじゃきょう)として性器形態神の更なる焼却が命じられたといいます。

 

 

このように明治から続く政府による弾圧に対し、第二次世界大戦後には一度、政府転覆のため顔色を見る必要がなくなったからか、各地でかつて弾圧されていた農村の祭りが復活しはじめたことがありました。

 

というのは安田氏が昭和32年に書いた事ですが、実際、藤林貞夫の「性風土記」では昭和の30年程度までは各地でまだ古い風習が続いている事が新聞や雑誌の投書欄などから抜粋して語られています。

 

 

とは言え戦後、近代化の波には勝てない。

 

 

戦後は誰に指示されたわけでもないが、こうした「安ものの神様」は次第に打ち捨てられるようになりました。

 

 

このような性器形態神は、昭和中期以降は次のような残存の仕方であると、神崎宣武氏は述べています。

 

① 無残なまでに放置(最も多い)

② 地域でそれなりに管理されている

③ 商用利用

 

時代は昭和の中~後半に差し掛かると、かつての信仰は失われて、次第にその「おもしろさ」だけが悪い意味で人の目を惹くようになったわけです。

 

全国で盗難が相次ぎ、道祖神は元々山中にも多いので、盗難を防ぐ方法がない。

この対策のため、鉄格子で覆う神体も出てくる。

 

WEBサイト「作曲法サポートページ」

WEBサイト「史人の庵」

 

様々な理由があるようです。

 

また、佐倉市様では実際に盗難に遭われて大変お困りになってます。

WEBサイト「双体道祖神の盗難について(本佐倉城跡内)」

 

 

このようにしてその数を徐々に失い、また、現在でも大切にされている道祖神でさえ、悲惨な有様となっています。

 

そして③の「商業利用」

 

この部分についてお話しします。

 

いつもどおりが一番だね!

「秘宝館」でエンタメとして消費された昭和後期


原始の時代に成立したと考えられる性器信仰は、長い歴史を経て昭和の後期を迎えます。

農村の人々に長年愛され、その生活を支えた「性器形態神」の最後の日の目です。

 

 

それが「秘宝館(ひほうかん)」に見られる信仰対象の観光化でした。

 

 

かつて「性器形態」の道祖神であったり、神名帳に名も無い祠や社の神様は、庶民には無くてはならない物でした。

 

この神様は、医療が存在しない山村の治癒神であり、結婚や縁結びを司る神様で、妊娠出産と子供の成長を願う子供の守り神で、人間の生活の根幹を司る火の神、そして人間の精神そのものの悟りを司る境界の神でした。

 

そして、生命そのものの神様でした。

 

やがて太政官令(考え方によっては、長州藩の「幕末淫祀論叢」から)から始まる政府の弾圧により、この神様は弾圧され、時代の流れの中で衰退していきます。

 

 

昭和47年(1972年)、三重県の渡会郡玉城町に、「元祖国際秘宝館伊勢(がんそこくさいひほうかんいせ)」が誕生しました。

日本最初の「秘宝館(ひほうかん)」です。

 

「秘宝館」とは、いわゆる“性のミュージアム”です。

 

2023年現在、秘宝館は、熱海のみに現存し、そのほとんどは閉館しています。

 

最初に誕生した三重県の「元祖国際秘宝館伊勢」は、創立者の意思が反映され、エロスではなく医学としての性と生命のミュージアムという意味合いが強いものでした。

場所も結構辺鄙なところにあって、父親がこの「元祖国際秘宝館伊勢」に男友達と入って出てくるのを目撃してますが、全員しきりに「グロい…」とか「トラウマになる…」とか言ってました。

 

それもそのはず、この「元祖国際秘宝館伊勢」は非常に医学性が強く、解剖模型や猟奇風景の展示もあり、アミューズメントと銘打ってはいるものの、それなりに学術的な施設でもありました。

 

 

そしてこの秘宝館の後発として、東宝出身者によって創立された会社である東京創研が手掛ける、非常にアミューズメント性の強い秘宝館が、全国各地に建設され始めます。

これらの秘宝館はほとんどが温泉観光地に建設され、それらは別府・北海道・熱海・鬼怒川・嬉野にそれぞれオープンしました。

 

この秘宝館の特徴として、グロテスクになってしまう医学的要素を徹底排除し、女性の来館者数増加を見込みました。

とっつきにくい医学要素は女性受けが悪く、それよりも民間信仰の道祖神を導入することで、印象を緩和し、客足を伸ばそうとしたわけです。

 

正直、この道祖神たちがどこから集められたのかは謎です。

ただ、他の情報から予想するに、買い取られた盗品なども混入していたのではないかと思ってしまうのですが、これには確固たる証拠もありませんし、私の邪推にすぎません。

 

 

この後続の秘宝館を創立された川島氏は、次のように述べています。

 

「宗教から入れれば、お客さんもためらいがないだろう。ようするに、幸せとか敬虔な気持ち、そういう導入が一番無難と考えた。」

「まず最初に、そういった日本の宗教から導入し、その次はその裏付けとなるコレクションを、と考えた。」

 

このコレクションが、性的な呪物・性具・避妊具・春画などであり、これを著書「ニッポン秘境館の謎」などで知られる田中聡氏

「民間信仰を秘宝館正当化の建前として確保したのだろう」

とした。

 

 

実際行ったらわかりますけど、現存する熱海秘宝館でも、アミューズメント性がまず強く、その折々に道祖神とか神社とかが挟んであるような構成です。

グロいかグロくないかで言うと、グロくはないけど気持ち悪いです。

 

とはいえこの秘宝館たち、最盛期である70~80年代こそ盛り上がりましたが、急速にブームは終焉に向かい、その大半が現存していません。

 

では、そこに展示されていた道祖神たちはどこへ行ってしまったのでしょうか?

 

ボトムスっていうかガーターベルトじゃねーか!

打ち捨てられた安物の神様と、絶滅寸前の現状


この、秘宝館で展示されていた性器崇拝の神様やその関連物について、その後の足取りを追った方がいらっしゃいます。

直近2023年に発行された「まぐわう神々」の著者である神崎宣武氏です。

 

ですが、そのほとんどは行方不明となっていました。

散逸し処分されてしまっているようです。

(一部、コレクションの譲渡先を探している所有者もおられます)

 

 

それでも日本の各地には、現在でも健在である性器信仰の社寺仏閣も存在しています。

例えば宮崎県の陰陽石神社であったり、山口県の麻羅観音であったり。

愛知県の田縣神社も有名ですよね。

 

しかしこれらは比較的規模の大きなものであり、村々の境界に存在した道祖神や、名も無い小さな神社はその限りではありません。

 

それらは大部分が、現在は性器の形をしていません。

でもかつては性器の形をしていたかもしれない。

 

姿かたちがどうであろうと、安田徳太郎はこれに親しみを込めて「安ものの神様」と呼びました。

 

いいじゃないですか、安ものの神様。

だって国民の大部分は安ものの神様とずっと一緒に生きてきたんだから。

安ものであることは、恥ずかしい事?

 

性器崇拝というのは全世界的に見ると原始宗教であって、ほとんどの国、ほとんどの民族が通って来た道です。

この残存率、こんな状況でも日本はトップクラスです。

同じくらい盛んなのはインドくらい。

 

 

ここ150年ほどで、最も古く身近だった神様にこれだけ過酷な道を歩ませてきたんだから、そろそろ再び目を向けて見ませんか?

 

この神は「境界」の神様です。

結婚や性や豊穣よりも本来の本来は「人の心の境地」の神様です。

人の心は誰しもが必ず持っている物で、真の意味で世界を構成しています。

 

安もので結構。

なぜなら人の幸福に、高いことや安いことは関係がないからです。

 

ファッションセンスが独特


参考文献

「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀

「まぐわう神々」神崎宣武

「人間の歴史 全6巻」安田徳太郎

「妙義山麓の性神風土記 上下巻」小坂橋靖正

「性神大成 日本における性器崇拝の史的研究」西岡秀雄

「生贄と人柱の民俗学」礫川全次

「明治の「性典」を作った男」赤川学

「日本近代思想体系 風俗 性」小木新造・熊倉功夫・上野千鶴子(校注)

「性風土記」藤林貞夫

「秘宝館という文化装置」妙木忍

「性的神の三千年」斎藤昌三