「十二支(じゅうにし)」と陰陽五行説
※キャラクターの紹介はこちらからどうぞ。
日本で育ったら、大抵誰でも知るのが「十二支(じゅうにし)」です。
日本では一般的に「えと」と呼ばれています。
誰でも大抵生まれた年の十二支動物はありますし、お正月になると自然と「今年は○○年」なんて耳にします。
ウシとかトリとかイヌとか…。
ところで、十二支ってそもそも何なんでしょうか?
どうして申年なら猿である必要があるのでしょうか?
どうして子年のネズミからスタートしてイノシシで終わるのでしょうか?
まさか昔話のように、十二支の動物みんなでレースしてネズミが一番乗りをしたわけではないでしょう。
昔話からもう少し遡って、十二支が古代中国から伝わったものであるということなら、ネットで調べればすぐ出ます。
そして「十二支(じゅうにし)」と「干支(えと)」はどうやら別のもののようだということも、わかります。
実は「十二支」の正確な起源は不明です。
それでもこの「十二支(じゅうにし)」は、四柱推命などのメジャーな占術のメインになるものです。
つまり、占術の意味を大きく左右する要素です。
それどころか古代中国発祥の「陰陽五行思想」の根幹を成す、とても大切な要素なのです。
古代中国からやってきた「陰陽五行思想」
「陰陽五行思想(おんみょうごぎょうしそう)」の「陰陽(おんみょう)」は、平安京のスーパーヒーロー安倍晴明の陰陽師(おんみょうじ)の陰陽と同じです。
でも今回は、式神とかそういう話は関係ないです。
大体、日本に現存する民間信仰や伝承は、大なり小なりこの中国から伝来した「陰陽五行思想」の影響を受けています。
今回の「十二支(じゅうにし)」だって勿論、陰陽五行思想に関係しています。
尚、この陰陽五行思想についての考え方は、人によって解釈が少し違います。
同じテーマでネット検索しても、解説している人によって微妙に違う部分があることに気が付かれるかもしれません。
ですからここでの説明を全て信用する必要はありません。
そもそも大元の起源が不明なので、正誤の確認自体が出来ません。
では、「陰陽五行思想」について簡単に解説します。
陰陽五行のもっと簡単な解説は「お稲荷様はどこから来たの?謎のルーツ」の記事でも行ってますので、そちらを参考にして頂いても構いません。
陰陽五行思想の「陰陽」とは?
陰陽とは、森羅万象を「陰」と「陽」に、大きく二分する考え方です。
これは、世界中の多くの古代文明に見られる原始的な考え方の一つで、一番身近な例で言うのであれば「男(陽)」と「女(陰)」です。
古く性器の事を、陽根・女陰と言うのもこの陰陽から来ていると思われます。
これは別に「陽」が明るいから良いとか「陰」が暗いから悪いとか、そういう話ではありません。
「陰陽和合(おんみょうわごう)」という言葉もあり、陰と陽は二つで初めて和合し、万物が創られる・完全になるという事です。
ですから男性が陽で、女性が陰で、二つ合わさって子供が生まれます。
これは比喩ですので、この表現を切り取って追及しなくていいです。
この考え方は非常に重要で、陰陽思想類似の考え方というのは割と人類普遍のものなのです。
あらゆる民俗・民族・文化の源流には同じ思想や似た思想が存在します。
陰陽思想を最も視覚的に理解しやすいのは「太極図(太陰太極図)」です。
私はこれを見るとキョンシーを連想します。
この太極図を見ればわかりますが、陰陽は物事を二分する考え方ではありますが、半円のようにはっきり分けてはいません。
まるで溶け合うような形をしていますよね。
これは、「完全な陽」「完全な陰」など存在しないと言う意味です。
どのようなものでも、陽100%のような状態にはならず、必ず陰を内包しています。
また、これは逆であってもそうなのです。
これは「陰陽」であり、「優劣」とは無関係です。
たとえば夏至は「陰」で、冬至は「陽」です。
上記の太極図を見ると、「え?なんで冬が陽?逆じゃないの?」って思いますよね。
それは夏至や冬至はそれぞれの日照時間の頂点(もうこれ以上にはならない)であり、あとは下がる(衰える)しか無いからです。
しかし完全に独立して夏や冬が存在しているわけではなく、本来季節はグラデーションになっていて、線引きなどできない曖昧なものです。
そうして一年や季節は混ざり合うように「循環」しながら世界が回っているのです。
全ては循環し、円を描いているのです。
栄枯盛衰、諸行無常、何者も頂点に君臨し続けることはない。
「平家物語」の冒頭でも述べられているように、永久不滅のものなど存在しない。
太極図がまさにそれを視覚的に表しています。
これは陰陽五行思想の非常に大事な考え方です。
「陰陽」は森羅万象を二区分する方法ではありますが、そこに明確な線引きは存在しないのです。
では陰陽五行思想の「五行」とは?
「五行」は陰陽のような二区分ではなく、5区分です。
陰陽では、男女や天地、生死を区分しますが、五行ではスケールが少し小さくなります。
よく陰陽五行と言えば、安倍晴明とかがかっこよく指や札で五芒星(星形)を切ったりしますよね?
これを「晴明桔梗(せいめいききょう)」や「晴明が印」と呼び、魔よけとされています。
この由来が「陰陽五行思想」です。
ただし、五芒星だけでは五行の役割を全て表してはいません。
星形の五芒星は、相手を尅する関係を描いたものですが、「発生する関係」までを織り込むと以下のような図になります。
陰陽師系の映画・アニメ・ゲームとかで、もし五芒星を丸く囲む印が切られる場合は、その印はこの矢印の方向である可能性が高いのではないかと思います。
この五行について書き始めると話が終わらないので、話を進めましょう。
この五行と言うのは、図を見てもらうとわかりますが「循環」です。
「陰陽」も「五行」も、世界は「循環」で出来ているという考え方です。
五行とは、木・火・土・金・水の5つの属性です。
木は炎を産む→炎は灰として土を産む→土は鉱物として金を産む→金属の表面に水滴を産む→水があって木々が産まれる→(繰り返し)
さて、「十二支(じゅうにし)」は、この五行よりも更に小さく12区分するカテゴリです。
陰陽も五行も「循環」であれば、十二支も「循環」だろうという事になります。
でも、この状態では一体何が循環しているのかわかりません。
イノシシはネズミを産むわけではないからです。
では「十二支」って一体何なの?
十二支は子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)の12種類から成っています。
これは誰でも知っていること。
ちなみに十二支を日本では「えと」と読みますが、実はこれは誤りです。
「え」は兄(陽)の意味であり、「と=おと」は弟(陰)の意味であり、本質的には「えと」とは「陰陽」そのものを表す言葉です。
つまり、さっき解説した「陰陽思想」が本来の「えと」です。
ただし、PCでは「えと」と入力すると「干支(かんし)」が出ます。
でも「干支(かんし)」は正式名称を「十干十二支(じっかんじゅうにし)」と言います。
ややこしいでしょ…。
じゃあ「干支(かんし)」は何なのか?
「干支(かんし)」とは、「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」を合わせた「十干十二支(じっかんじゅうにし)」をそれぞれくっつけた60通りの組み合わせを言います。
ですから「六十干支(ろくじっかんし)」とも言います。
「十干(じっかん)」とは、循環を10区分する考え方。
「十二支(じゅうにし)」とは、循環を12区分する考え方。
これをそれぞれ組み合わせると、60通りのパターンが出来るから「六十干支(ろくじっかんし)」です。
聞いた事無いかな、壬子(みずのえね)とか、甲辰(きのえたつ)とか…。
これ、めちゃくちゃややこしいです。
解説サイトですら、時折ごっちゃにされてます。
こんなにごっちゃになるくらいなので、中国から輸入されてきても、日本国内でごっちゃになるのは仕方ないのです。
この「海外の習俗、読み方でごっちゃ現象」は歴史上でもそこそこ発生してます。
ちょっと整理しましょう。
- 「えと」とは本来「陰陽(おんみょう)」という意味。
- 「十干十二支(じっかんじゅうにし)」を略して「干支(かんし)」と言う。
- 「干支(かんし)」は10区分の「十干(じっかん)」と12区分の「十二支(じゅうにし)」の組み合わせパターン全60種を言うので別名「六十干支(ろくじっかんし)」と呼ぶ。
- 昔の日本人は「じゅうにし」だけのことを「えと」と言い出し、そのまま定着。
- 更に「干支(かんし)」のことも「えと」と呼ぶ。
「十二支(じゅうにし)」とは「干支(かんし)」であり、干支は元々古代中国で暦・時間・方位等をあらわす尺度でした。
「暦」も「時間」も循環の一種ですよね?
そこに後の時代で、動物を含む色々な意味を持たせたものが「現在の十二支(えと)」です。
つまり、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支には動物以外の「循環」を表す意味合いがあると言う事です。
物事の循環を草木の成育過程に置き換える「十二支」
まず、この十二支については諸説があります。
ですから、この説明が絶対ではありません。
十二支は次のように漢字を置き換えます。
大体こんな感じで、草木のサイクルを表しています。
これも見事に物事の循環です。
もうすこし、循環をわかりやすく円状に配置してみましょう。
こんな感じになります。
占いにある程度知識のある人なら、この12区分がほぼ西洋占星術のハウス区分と同じであることに気が付きますよね。
今回はその話はしません。
日本人は、何でもキャラクター化するのが好き、というのはよく言われます。
「擬人観」と言いますが、Wikiに詳しく載ってます。
この日本人のキャラクター化好きの背景には、日本の多神教の影響が大きいと言われています。
まぁこのブログサイトも擬人化を使ってるので…。
しかしこの動物を配当すると言う方法、日本で生まれたわけではありません。
実は日本に渡来した段階で、既に動物は配当されていたのです。
中国における干支の起源の話をここではしません。
ただ、中国後漢時代の王充による「論衡」(西暦80年)の時点では、既にここに動物が充当されていたようです。
そして、先にあった意味に加えて、次第にそれぞれの動物の性質・性格までも十二支に当てはめられていきました。
そして更にのちの時代。
十二支が海を渡ってやってきた日本では、よりキャッチーな動物の方が主体として広まりました。
ほら、日本人ってキャラクター好きだから…。
しかし、民間信仰というのは結構そんな感じなんです。
文字本来の意味よりも付随した動物のほうがウケて、本来の意味が失われていくというのは、何もこれに限ったことではないのです。
日本で愛される十二支の動物たち
という訳で、実は草木の成育過程を表す意味を持っていた十二支。
今回は殆ど詳しい説明を割愛した「十干(じっかん)」。
十干には「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10種類あります。
これにも同じように植物の生育過程が充当されていますが、動物は充当されていません。
十干は現代社会では、地名や占術の中に伺うことができます。
しかし残念ながら、十二支ほどポピュラーではありません。
十二支の強みは、子供でもなんとな~く理解できる十二支の動物。
この違いが、一般知名度の違いにも表れているのかもしれません。
十干知ってる子供は珍しいですが、十二支を知っている子供なら割と見つかります。
ちなみに、これらを植物の生育過程の方の意味で使用しているのは有名な命術「四柱推命」です。
四柱推命を理解するためには、十干十二支が植物の生育サイクルであることを理解している必要があります。
そして、十干と十二支の60通りの組み合わせに、様々な意味を与えています。
有名な「空亡(大殺界・天中殺)」は、この10種×12種の組み合わせから生まれる「2つ分の欠番」を指します。
10種×12種だと、十二支側が2つ多いから、足並みが揃わないんですよ。
これを凶と言う人もいるし、凶じゃないんだよと言う人もいる。
たとえばもっと単純に、十二支の中の6番目である「巳(成長限界=絶頂期)」までを吉として、「午(衰退の開始)」からを凶と読む人もいる。
東洋占術は怖いと感じる人が多いと聞きます。
それは吉凶を断定する人が多いからです。
人間誰でも、悪いことを言われれば恐怖心を感じてしまいます。
特に自発的に占いに行くような人であれば、尚更です。
しかし占術の原理を知れば、「占い」の解釈には疑問を感じるようになるはずなのです。
そして、そうするとある一つの事実に気が付く筈なのです。
「占いにおける“吉凶”って、そもそも何?」
という事実に。
更に深く追求する、ややこしい起源の話
あとがき的な蛇足です。
ちょっとマニアックな話をします。
実は、歴史的には陰陽五行よりも十二支を始めとする干支の成立の方が先です。
つまり、干支に意味がある事自体が後付け、という主張が存在しています。
この記事を書いている現時点でも、例えば干支のwikiなんかには「干支への自然界栄枯の意味付けは、後年の後付けでしかない」という意味の文が記載されています。
さて、干支は元々「幹枝(かんし)」と呼ばれていました。
これを「干支」と言うようになったのは、古代中国の「論衝」以後の話です。
ネットには干支の初出は「論衝」と書かれてる場合がありますが、これは誤りです。
これ以前の出土品からも十干十二支の図柄など出ています。
ですから、呼称の初出が「論衝」であるだけで、それ以前にも「幹枝」として存在していたことになります。
「幹枝」=「干支」として使用されていたのが中国の「殷王朝」です。
殷は後に周王朝に征服されますが、この「幹枝」というのは殷王朝で用いていた、稀な暦の影響をモロに受けた思想から出来ています。
これは10日で1サイクルという考え方で、その考え方の根本に存在する十日神話(10個の太陽が存在するという思想)と「幹枝」に繋がりがあります。
つまり、ざっくり言うと、早ければ紀元前1700年には既に「干支」が存在していた可能性があります。
これ以前のどこで発生したのかは、現在解明されていません。
ところで話は変わりますが…。
十二支それぞれの文字に充当された意味から見える循環の考え方が、古代エジプト文明で使われていた、古代エジプト占星術と非常に似ていると感じます。
古代エジプト占星術の起源は古代メソポタミア占星術で、これは古代中国で干支の成立が見られるよりも更に2000年程前の話です。
古代エジプト占星術の基本的な考え方と、現代の西洋占星術の考え方に大きな乖離が見られないという時点で、古代メソポタミア占星術とエジプト占星術の間にも大きな乖離が無かったのでは?と考えます。
西洋占星術にはハウスシステムがあります。
天球を12の部屋に分割して、星は1~12の部屋間をぐるぐると回り続けます。
これをハウスと言います。
このハウスにはそれぞれに意味がありますが、ざっくりと「人間の一生」と表現されることがあります。
このハウスに十二支の意味が充当できます。
古代エジプト占星術から分化したインド占星術でも、ハウスに関しては同じく12区分であり、同じ考え方をします。
厳密に言うと、インド占星術の12ハウスの次(1ハウスへの回帰)は来世らしいんですが、循環であることには変わりは無いし、結局星は12ハウスの次は1ハウスに戻ります。同じです。
これだけではなく、十二支の動物占いの内容を、西洋・インド占星術の12星座占いに当てはめてみます。
すると、12星座側の表面的な部分がよく似てるんですよね。
どちらかというと、太陽がその星座にある時ではなく、アセンダント(上昇点)にある時の印象に近い気がします。
個人的感想ですが、西洋占星術の経験のある方ならわかるかも。
インド占星術であれば元々アセンダント(上昇点)を見ますしね。
何の根拠も証拠もありませんが、本当に後付け?本当に何の関係も無い?と疑問に思います。
こういうのをトンデモ論と言うんでしょうが。
実際、十二支に近い十二獣は、天文学の12宮から来ているという説もあります。
成立年代の予想は現存する記録から割り出されたものですが、本当に十二支の意味付けは後付けなのでしょうか?
民俗学の本に、陰陽五行思想は非常に頻繁に登場するので、よく目にします。
しかし、後付け論とは違って「陰陽五行思想に組み込んだこと自体は後付けかもしれないが、干支の意味自体まで後付けと解釈しない」という論調で書かれているものもありました。
私はこれに同意です。
上記の「十日神話」と関連があるのならば、これは太陽の運行が元になった思想であるということです。
ハウスシステムも、地平線の下の太陽(内面)が空に昇る(外面)その周回をあらわしています。
この点で考えるならば、近いどころかほぼ同じなんですよ、本質は。
まぁこれは私の勝手な一意見に過ぎませんが、そういう考え方も浪漫があっていいんじゃないかな?
だって、2000年あったらなんか交わるんじゃないの?
たとえ記録には残って無かったとしても。
まぁ、諸説はあっても、真実なんかわかんないし。
こんな所まで読んでくださってありがとうございます。
参考文献
「動物信仰事典」芦田正次郎
「狐 陰陽五行と稲荷信仰」吉野裕子
「性神大成」西岡秀雄
「占星術の起源」森屋リリ子