「乱交・雑魚寝・暗闇祭」無差別性行為の習俗
この記事は、習俗としての「乱交」を取り扱っています。
もうこの時点で「無理かも…」と思った方は、これ以上読まないようにしてください。
民俗学・宗教学等の文献を取り扱いますので、概ねエロ目的ではありませんが、普通に乱交の話です。
乱交が何を意味するのかわからない方は、まずWikiでも見て概要を把握してください。
乱交とは、不特定・複数の相手と性行為を行うことを指します。
宗教的意義を持つ乱交は、古代西欧のものが有名ですが、今回は日本のものをメインに取り扱います。
理由は、ネット上であまり正確に語られることが無いからです。
なお、「え?この記事のカテゴリ間違ってない!?」とお思いの方もいるでしょう。
生殖器崇拝(性崇拝)と乱交には関連がありますが、イコールではありません。
乱交習俗は、生殖器崇拝発祥というよりは、その時代に於いての合理性が優先された結果、後付けで存在したと思われる場合が多いのです。特に日本の乱交に関しては。
それぞれ別軸の存在だったものが、扱うテーマが近いので結びついた可能性の高いものもありますので、今回はカテゴリを「民間伝承」にしました。
「乱交」の習俗とは何なのか?
「乱交」の習俗は、日本全国に広く存在しています。
有名なものは「雑魚寝」と「暗闇祭り」ではないでしょうか?
まず、この「雑魚寝」「暗闇祭り」について説明しましょう。
これらは田舎では昭和初期まで存在した習俗です。
藤林貞夫「性風土記」(1967年)では実際に、上の世代の人から雑魚寝や夜這いを経験した話を聞くことがあったという旨が記されています。
1967年は昭和42年ですから、昭和の後期にあたります。
今から57年前の話ですので、現在80歳くらいのご老人であれば、もう既に成人していた頃の話です。
そう思うと、比較的最近まで見聞きした可能性がある習俗なのだなぁ、なんて思います。
さて、「雑魚寝」は暗闇祭り系統の乱交祭の総称・別称です。
この手の祭には様々な名前や、特別な名前のついていない祭りがあり、それらをまとめて「雑魚寝」と呼ぶ、というところではないでしょうか。
ですから「暗闇祭り」も「雑魚寝」も、まとめて日本の宗教的乱交と思って構いません。
このような祭りが行われる理由については、以下のものが挙げられます。
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日本にかつて、乱婚時代があった名残(中山太郎)
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女性の厄を払うため(藤林貞夫)
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魔よけ(愛知県北設楽)
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妊婦が増える=豊穣の神が喜ぶ(大分県)
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そもそも処女は良くない
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神主が我欲の為に作った悪い風習
…と色々あるのですが、決定的な理由や起源は明言されていません。
江戸期以前の日本の庶民の間では、現代誰しもが思うような貞操観は存在していません。
むしろ、民間では処女を忌む考え方の方が強く、結婚が決まった生娘を仲人等に破瓜(処女喪失)してもらって謝礼を送る、みたいな習俗も多々あるくらいです。(初夜権問題と言われます。)
祭りの高揚感や特別感などがあったにせよ、このような性感覚の時代に全国各地でわざわざこんな祭りが儲けられている訳ですから、そこには「合理性」があって然るべきと考えたほうがいいと思いませんか?
不明なことが多い乱交系習俗
このような乱交系の習俗は全国各地に多々ありましたが、どれひとつとして正確な起源や理由はわかっていません。
貴族や武家に行われた祭祀の記録は古いものまで残っていることが多いのですが、民間主体の信仰に関して詳細な記録が残ることは少ないのです。
日本の宗教的乱交に対するまとまった研究は存在せず、町人文化などをまとめた文学・川柳・浮世絵にもこの起源を辿れるものは存在しません。
というか時代的に「乱交」に特化して研究をするということは不可能だったのではないかと思います。
「なぜ性神は排斥されたのか?~性器形態神近代史~」を見て頂けるとわかるのですが、生殖器崇拝や性に関する習俗というのは、研究しているだけで後ろ指を指されるようなものでした。それは岐神・塞神・道祖神という、単純に神体が生殖器形態と言うだけの民間信仰を研究する事すら憚られるレベルです。
その中で特に過激な乱交に関して、詳しく掘って掘って掘りまくってやろうなんて人はなかなかいなかったのが現実。
様々な性関係の文献にチョロッと、あくまでもデータとして挙がっているだけにすぎません。
この件に関して、比較的真面目且つフラットな姿勢を貫いた中山太郎・出口米吉ですら、全く深掘ってません。
中山太郎が比較的、民俗学の父と呼ばれる柳田国男に近い存在でありながら、長らく日の目を見なかったのも、性関係の習俗研究の件で柳田に避けられていたからだ、なんて説もある程に、研究対象にし辛かったテーマなのです。
私のように、「乱交調べたろ!」みたいなことは許されない時代の方が長かったのです。
しかし、何の手掛かりも無く想像だけで事例を列挙してもしょうがない。
乱交系習俗は、どのような神の名のもとにおこなわれていたのでしょうか?
まずは、乱交祭礼に関わる祭りの存在した神社を挙げてみましょう。
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群馬県多野郡・三島神社(現在不明)
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福島県いわき市・塞神祭(旧正月・明治まで)
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対馬・天神多頭魂(たくずだま)神社・舟受け祭(旧7月18日)
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栃木県栃木市・太平山神社(瓊瓊杵命・天照皇大御神・豊受姫大神)
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東京都・六所明神
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静岡県清水区・由井神社(現在不明)
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愛知県北設楽郡(秋祭り)
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京都府亀岡市・氏神祭
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京都府宇治市・縣神社(木花開耶姫命)
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大阪摂津市・笠森稲荷(宇迦之御魂神)
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徳島県那賀郡・東尾神社祭礼(明治後期まで)
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愛媛県上浮穴郡・八幡宮祭礼(明治後期まで)
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大分県速見郡日出町豊岡(7月26日・公認夜ばい)
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大分県日田市旧夜明村・(明治以前8月15日)
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大分県杵臼市・鎮守神の祭礼(8月)
- 福岡県京都郡・生立八幡宮祭礼
手元にある資料からすぐにわかるものだけでも、これだけ挙げられます。
この中の大半が、地域の小社で行われていることがわかりますね。
日本神道に登場する高名な神を主祭神とする神社は
- 対馬・天神多頭魂神社
- 栃木県栃木市・太平山神社
- 京都府宇治市・縣神社
- 大阪摂津市・笠森稲荷
以上の4社です。
では、細かく見ていきましょう。
主祭神が神社のルーツとは限らない
この中でまず
「対馬の天神多頭魂神社」
ですが、これは現在でも対馬に存在する神社で、「延喜式神名帳」にも記載があります。
「延喜式神名帳」は927年(平安時代中期)に成立した、早い話が日本国内の神社を調査した一覧表のようなものです。
これを非常に正確とする人もいますが、現実には一定以上の規模の神社しか載っておらず、小社はあまり載っていません。
ただ、平安時代からの古いゆかりのある神社をとりまとめた文献として、非常に貴重なものとされています。
この神社の主祭神は、多久頭魂神、天照大神、天忍穂耳命、日子穂穂出見尊、彦火能邇邇芸尊、鵜茅草葺不合尊とされています。
ただし神社の由緒としては、対馬の天道信仰である多久頭魂神が本来の祭神であると思われます。天照大神以降の祭神は、後世で何らかの理由で付会する神の定番ですので、一旦切り離しましょう。
さて、天道信仰とは太陽信仰です。太陽信仰とは、最も古い形式の自然信仰(アミニズム)です。
これは最も原始的な自然信仰の一種なのです。
太陽信仰に相互に関連のある自然信仰には、他に岩石信仰・火炎信仰・生殖器信仰・祖霊信仰などが存在します。
従って、対馬の天神多頭魂神社は、古い形式の在来信仰の神社と考えて構わないでしょう。
次に
「栃木県栃木市の太平山神社」
について考えてみましょう。
この創設は平安時代に第3代天台座主・円仁(慈覚大師)によってされたそうです。天台宗のえら~い人です。
円仁は、天台宗の偉い人です。天台宗です。個人的に、これは重要と思われます。
そもそも、何故仏教が神社を創設したのでしょうか。
これはあくまでも私の推測に過ぎませんので、否定資料がありましたらご連絡ください。お願いします…むしろ知りたいので…。
天台宗は、在来信仰に対し手厳しい傾向が見られます。
自身も仏徒である人類学者・加藤玄智も、仏教の伝来当初は仏教が在来宗教の駆逐を試みたという旨を「仏教史学」誌上に記しています。
実際に、天台宗の仏典である法華経が、日本の在来神である民間信仰の神を屈服させたという逸話がいくつか残っています。
中でも有名なものは、平安時代後期に成立した「今昔物語」の13-34「救われた道祖神」という説話です。
この説話の中では、卑しい存在である道祖神が、法華経によって救われるということが語られています。
道祖神は本来、古代中国の神なのですが、平安時代後期では既に在来信仰の生殖器神であった岐神・塞神と習合しており、その区別はなくなっていますので、道祖神=生殖器崇拝の在来神を指しています。
このように、平安時代に於いて仏教は在来信仰に対し、非常に厳しい姿勢を取っています。この姿勢はやや侵略気味のものですらあったのですが、結局在来信仰の強さに態度を軟化させ、後に仏教は在来神と地蔵尊を習合させるという手に切り替えます。
この時、仏教はいくつかの手段をとりました。
それは、生殖器系の信仰を持つ神社を寺に併合する・併設する・改宗させる、などの手段です。このため、数多くの寺の中に生殖器神が小社や祠で祀られているという報告が、本当に多いです。多すぎるのでわざわざ挙げませんが、何が言いたいのかというと、太平山神社は元々在来信仰である生殖器神(岐神・塞神・道祖神系統)の神社だったのではないか?ということです。
このような事は、江戸時代後期から明治期にかけて「神仏分離」と言って、特に明治政府からは厳しく勧告を受けました。ただし、その対象は元々由緒ある神道の神が主祭神であった神社に対してだけです。
国体重視の動きの中で、天皇の血統に対する不敬として分離が求められただけですので、天皇の血統に影響のない生殖器神の分離は行われていません。
ちなみに「神宮寺」とは、こういった神社と寺の敷地が一緒になっているものを指します。
ちなみに残りは
「京都府宇治市の縣神社」
「大阪摂津市の笠森稲荷」
ですが、これはもう不明なんでザックリ考えます。
前者、縣神社の主祭神は木花開耶姫命です。
出口米吉「原始母神論」では、女神単身崇拝に、山岳信仰が結びつくことが多いことが語られます。これは、山岳信仰の古い思想として、山岳が女体であると考えられていたことに由来します。
山岳・山体そのものが女神の巨大な女体であり、ここから、山中の大穴や洞穴を女神の胎内とする胎内信仰にも繋がるのです。
京都の縣神社は木花開耶姫命を祀りますが、木花開耶姫命は富士山の象徴としての山岳信仰の女神として有名で、室町時代の辞典である「下学集」にも、富士山体が女体であるという思想を確認することができます。
何が言いたいのかと言うと、ベースには対馬の天神多頭魂神社と同様に、自然信仰が存在している可能性があります。
後者である笠森稲荷ですが、稲荷神社になったのは後年のことで、Wikiを見ると元々は稚武彦命(わかたけひこのみこと)と鴨別命(かものわけのみこと)を祀った神社であることがわかります。
問題はこの二神のルーツが岡山県にあり、鬼の温羅に関連していることの方かな。
ここを説明しようとすると膨大な情報が必要なので、ちょっと複雑になりすぎるために割愛するのですが、これ、天目一箇神に関連してないかな…?
ちょっと飛躍が過ぎる可能性もあるのですが、元々稲荷神社ではなかったことは確かなようです。
稲荷神社は元々稲荷神社ではない、というのはよくあること。
稲荷神社の主祭神は宇迦之御魂神ですが、宇迦之御魂神は後付けである場合が多いです。
元々の職能として農耕神・性神が先にあり、そこに対して宇迦之御魂神を付会した可能性もあるってことです。
ただし、もし元々天目一箇神に関連しているのであれば、農耕よりは火の神に関連しているということになります。
火の神も、古い在来信仰に起源を辿れることが多い神のひとつです。
ちょっと一つ例を挙げてみます。
というか私の実家なんですが、稲荷神社があります。
これは所謂、神名帳に無い小社です。
祀っているのは宇迦之御魂神ですが、近年に稲荷大社から分けてもらったと伝わっています。
そのルーツは全然関係ない九州から、遠流の際に持ってきたとかいう話が文献に残っているので、元々の祭神は全然違う神様です。
これをその大元の稲荷大社に照合したことがあったんですが、「同様のことが多すぎて把握できてない」と言われたので、多すぎて把握できないレベルで分社が存在した、ってことは確かなようです。
さて、ここまで見ていくと、有名どころの神様を祀っている神社でも、そのベースには自然信仰や在来民間信仰が存在している可能性がまぁまぁある、ということがわかります。
日本の場合、民間に広く信仰された在来信仰は、生殖器崇拝に関連することが多いです。
生殖器崇拝に関係しているから乱交するんだ!?という単純な話ではありません。
生殖器崇拝は最も古い形式の自然信仰のひとつです。
従って、日本だけに存在するものではありません。
この信仰は、全世界の津々浦々に存在する、普遍的原始信仰です。
ですから、生殖器崇拝はまず絶対にどこにあっても当たり前と考えなければなりません。
その上で、
「どうして性神の名のもとに、乱交が必要だったのか」
を考えるべきなのです。
海外の「乱交」習俗はどんなもの?
乱交の習俗は、日本固有のものではありません。
世界中に「伴侶以外の不特定(場合によって多数)の相手と性行為をする」という習俗は存在しています。
中でも多く報告があるのは西欧・インドです。
インドにこの手の性的習俗が多いのは周知の事実ですが、西欧にも多々ありました。
インドで最も有名なものは、「デーヴァダーシー」ではないでしょうか。
この習慣は2023年時点で現存しており、国際的な問題にもなっています。
未成年の処女を、神への奉仕をお題目に寺院に所属させ、売春を行わせる信仰です。
この主目的は、言ってしまえばお布施の確保(ビジネス)にあります。
この起源は古く、またインドには類似の乱交系習俗も多いです。
デーヴァダーシーは人間相手に性行為を半ば強要させるものですが、相手が人間ではないものも存在しました。神像です。
ただ、神像相手ではお金にならないので、デーヴァダーシーのような収益を得られる売春形式のものが残存してしまったのではないでしょうか。
ちなみにデーヴァダーシーを行う宗派は、ヒンドゥー教の中でも元々性的解脱の色が濃いシヴァ神系信仰です。
性行為を神的能力会得の一手段とした真言密教立川流の源流である左道密教系は、性行為自体をひとつの作法としていますので、このような宗派は説明しつくせない程多くあります。
西欧で最も有名な乱交の習俗が、「オルギア」でしょう。
ディオニッソス等の、ギリシア・ローマ神話成立前の在来神の祭礼において、乱交をおこなうものです。
ただし、この乱交は儀式的乱交ではなく、本来女性だけが参加する羽目を外した祭りだったものに男性が参加するようになったことで、乱交パーティーさながらの状態になったという経緯があります。
つまり、元々は乱交目的の祭礼ではなかったようです。
これは風紀を乱すために後に廃止・処分されます。
西欧にもかつて、デーヴァダーシーのような習俗も存在しましたが、ここに金銭が発生することはあまりなかったようです。
デーヴァダーシーにせよ西欧の同様の習俗にせよ、これらには共通点があり、それは「処女は神に捧げるもの」という思想が元になっています。
加えて特に西欧には「処女の子宮には神が宿る」という信仰も存在します。
「処女は神に捧げるもの」と「処女の子宮には神が宿る」は、一見辻褄が合っていないように思いますが、これには地域と時代のグラデーションがあると同時に、ダブルスタンダード的に共存していると思える習俗も多いです。
特に古代ローマ時代は、どちらもが正解のような習俗を見ることが出来ます。
とりあえず、双方ともに言えることは、このような性的風習を「祝福」に近い形で推していることです。
その実際の理由やメリットや権力構造は別として、“そういうことが祝福(必要)である”という信仰の一形態です。
これは日本の初夜権に近いです。
ここに、それ以上の女性側のメリットは存在しません。
なお、西欧では13世紀からは終末論が人々に広まり、そこにペストの流行(厳密には2度目のパンデミック)が加わって一種の終末論ブームのようになりました。
この時の乱交は、二種類が存在します。
一つは比較的早期に見られる、ペストが加速した死への恐怖から逃れるために、極端な享楽的生活を望んだ上での乱交・不貞です。辛い現実をセックス依存で忘れようとする感じの手段ですね。
もう一つは14世紀以降に見られる、神への不信感が享楽的生活を誘発するタイプの宗教的乱交です。こちらは説明が長くなってしまうので極力簡単に説明すると、当時の教会の腐敗の構図を神自身の立場に重ね、その結果、神よりも悪魔ルシフェルのほうが信頼できるとする悪魔崇拝が乱交を産むタイプです。
正義はルシフェルにあると信じて、むしろ禁止とされていることこそが正しいと言い、神への敵意で団結する、過激な一部の陰謀論のようなタイプです。
何にせよ、西欧とインドのこの手の習俗は、どのような形式であれ、権力に結びついていることが多いです。
では、日本の場合はどうでしょうか?
日本の宗教的乱交
日本には、神事として本当に性行為を行っていたと考えられる祭礼がいくつか存在します。
現在はそのほとんどが別の形式に置き換わるか、祭りそのものが消滅していますが、ここには「感染所作」という信仰が関係しています。
「感染所作」とは、神頼みする内容と同様の所作を神に見せることで、同じ結果・ものを神から頂くという考え方です。
これは民族学者・折口信夫が提唱しています。
例えば、田植え豊穣祈願の祭礼のとき、田の中やそうではなくても祭礼中に、男女の性行為を模した所作を含めることがあります。もしくは、田の中で人を殺す所作を含むことです。
このどちらも、かつては本当に性行為と殺人をおこなっていたと言う研究者もありますが、真偽のほどは定かではありませんので、断定できません。
性行為も殺人も、それが豊穣に関連する行為だから、神にやってみせるのです。
性行為では赤ちゃんを授かります。これを豊作に見立てています。これはわかりやすいですね。
では殺人は?
稲荷神社の主祭神は宇迦之御魂神。
宇迦之御魂神と、「日本書紀」の大気津比売神は同一視されています。
「日本書紀」では大気津比売神の殺された遺体から、五穀が生じるのです。
ここで宇迦之御魂神と大気津比売神が本当に同一神なのかどうかを滾々と書く意味はないので割愛しますが、ここでわかるのは、殺人もまた豊作を産む行為なのです。
奈良県明日香村の飛鳥坐(あすかにいます)神社では、現在は性行為を劇仕立てで神事として行っています。
大阪摂津の股倉神社や、滋賀県蒲生郡の神社(現在は無い模様)でも、同様の祭りが行われていた記録があります。
これらの古い形式は、本当に神官と巫女が性行為を公開で行っていたと、民俗学者・中山太郎は語ります。
これら記録は2007年の「タブーに挑む民俗学」で見ることができます。
ちなみにネイティブ・アメリカンの豊作祈願の神事にも、これと似たものが存在します。この場合の性行為実施者は神職ではありませんが、感染所作自体は別に日本固有の傾向ではありません。
では、日本の乱交習俗「雑魚寝」「暗闇祭り」も豊作を祈願する感染所作なのでしょうか?
答えは、YESでもあるし、NOでもある、です。
何がYESで何がNOなのか
曖昧ですよねぇ。
では、現在把握されている乱交に関係すると思われる習俗を、分類して見ましょう。
一つ目。
明らかに、豊作祈願の意図のあるとされている祭りは、先に挙げた15の祭りの内
「静岡県清水区の由井神社の徹夜の祭り」
「京都府亀岡市の氏神祭」
以上の2つです。
これらは「どのようなことが起こっても全て赦免される、性的開放日」とされており、この時の性的開放は神がお喜びになると言われました。
だから、やらなければ凶作になると信じられていました。
これは明らかに感染所作ですね。
二つ目。
願掛け目的の祭りは、
「福岡県京都郡の生立八幡宮祭礼」
「徳島県那賀郡の東尾神社祭礼」
「愛媛県上浮穴郡の八幡宮祭礼」
「大阪摂津市の笠森稲荷」
この4つです。
これは、この殆どが下の病の願掛け目的です。
生立八幡宮は祈願内容が指定されていませんので、祈願であればジャンル指定は無かったようです。
それ以外の3つは、下の病に関する願掛けです。
下の病って性病?と思いきや、これは「不妊」だったようです。
これ、重要です。
女性が「不妊」の病を治すために、祈願と称して不特定多数の男性と性行為をし、その結果「不妊」の病が治ったら成就したという事になるわけです。
三つ目は、完全に男性不妊解消目的のもの。
京都府宇治市の縣神社の「種買い」
東京都武蔵の六所明神の「暗闇祭り」
後者はかなり近代までやっていたので写真資料なんかも残ってて有名なんですが、この2つは完全に男性側不妊解消のためにやってます。
もう「種買い」なんてドストレートで一切隠す気も暗喩もクソもありません。
これには全国各地から男女が集まり、神社の一角を解放して、文字通りの乱交が行われました。ここで身ごもった場合は「神の子」であり、全てが赦免されます。神の名のもとに、既婚も未婚も関係ありません。
ただし、後者は特に、警察の立ち入りなどで姿を消しました。
栃木県栃木市の太平山神社の乱交も詳細な資料はありませんが、恐らく同じような意味を持っていたと考えられます。
四つ目、というかその他に関しては、理由が不明・曖昧なものです。
対馬の天神多頭魂神社の舟受け祭などは、その理由を「神功皇后の三韓征伐にちなんで」と言いますが、性行為時の体位がシックスナインで固定されており、三韓征伐とシックスナインにどう関係があるのか、三韓征伐と性的開放に何の関係があるのか私にはわかりません。
神功皇后伝説は、どう考えても日本全国に一体何人神功皇后が存在したの?というくらいよくある伝説の一つなので、もしかしたら直接の関係は無いかもしれません。
ただし、神功皇后は子育て・出産の守り神として祀られることが多いので、それと何か関係があるのかもしれません。
この祭礼に於いてのシックスナインは冗談ではなくかなり重要な立ち位置を占めているので、古い文献とかを漁りまくったら、何か見つかるかもしれません…。
大分県日田市旧夜明村の祭礼
大分県杵臼市・鎮守神の祭礼
この2件は理由や起源は不明ですが、女性はほぼ強制的に必ずだれかと性行為をしなければならないという決まりがあったようです。既婚・未婚問わず、未成年から年配の女性まで、絶対に行為をしなければならなかったようです。それも1人ではなく、人数にも指定がありました。
これを拒否すると、実質村八分になったようですが、ここまで強制力があるわりには理由が定かではありません。
ただし、前者は「性交出来ない女子は、不産女だ」というレッテルを貼られるようなので、元々は豊穣祈願か不妊解消の意図があったものが、時代と共に意義を失ってしまった可能性があります。
ここまで見てみると、日本の場合の乱交・性的開放は、主に二種類に分けられそうです。
一つが豊穣祈願としての性行為。
もう一つが、男性不妊症解消としての性行為です。
民俗的合理性としての「種買い」
上に挙げたうち、下の病解消としての性行為の祈願が一番わかりやすいですね。
この場合、病気にかかっていて妊娠できないのは女性です。だから、女性が祈願に行くのです。しかしそこで成就の為に誓う行動は、夫以外の男性との性行為です。
ここでは「男性が原因の不妊」は表面化しませんが、それを解消するための行為として他の男性から“種”を貰っているのです。
そして、例えここで授かった子供が父親に似ていなくても、それは神が下さった子だから似ていないのだ、と深い追及はされないルールです。
これは暗に男性不妊を認めていて、それを解消するための暗黙の行為を「神頼み」として行っています。
この暗黙のルールは乱交儀式「雑魚寝」「暗闇祭り」「種買い」「おこもり」でも同じで、このような宗教的乱交は、長いもので昭和初期まで続いたと言います。
これは、人類学者クロード・レヴィ・ストロースが言った「未発達社会としての合理性」であると考えられます。
疫病の原因を悪霊に求めることも、不妊の解消を神に求めて乱交を行なうことも、古い日本の社会では極めて合理的であったからです。
同様に、イギリスの哲学者コリン・マッギンの認知的閉鎖から来る「認知的閉鎖欲求」でも説明が可能と思います。
「認知的閉鎖欲求」とは、曖昧で不明な問題に対し、すぐに答えを出したがる人間の欲求を指します。
「認知的閉鎖」とは、その答えに回答・理解する能力そのものを人間が持っていない=閉鎖されている状態を指します。
古い時代に於いて、信仰に答えを求めることが多いのは、その時代に於いては対象が理解の範疇を超えているからです。この場合に於いて神や宗教にその理由を求めることは、極めて合理的で納得のできる事だったのです。
現代社会でもこれは存在します。冷静になってよく見てみると案外周囲はこの「根拠のない合理性」だらけです。
日本初の体外受精は昭和58年と言われますが、人工授精ですともう少し早いです。
しかし、それであっても近代のことであることに変わりありません。
出典元がわからないのですが、確か妙木忍という方の著書であったと思うのですが、人工授精が国内でそれなりに認知され始めたのは1970年代くらいだと書かれていた記憶があります。
ちなみに体外受精は、女性の胎内から卵子を取り出し、外部で受精させて着床を試みる方法です。一般的に同視されがちですが、顕微鏡受精(卵子の膜の内側に精子を人工的に注入する)とは少し違います。顕微鏡受精のほうがより高度です。
人工授精はもっと単純で、胎内から卵子を取り出すのではなく、精子を卵子付近に送り込むことを指します。
状態としては、普通の性行為に近い状態のものです。
それ以前の時代、子の無い夫婦は養子を貰うことが一般的でした。
昭和初期~中期の田舎の人たちの、何らかの形で養子に関わった確率はとても高いです。
とある件で、自身の父母両系統の家系図を作ったことがあったのですが、双方ともに戸籍内に養子の痕跡がありました。
ただ、この辺にも地域によって考え方にグラデーションがあります。
養子を貰う・貰わないは家系断絶回避のための手段です。
知人から養子を貰わなくても、明治後期あたりまでは、現在の貨幣価値5万円前後で子供を買うことができた、という報告もあるくらいです。
問題は「妊娠出産を経験しない女性」を蔑む文化の有無にあります。
子供を産まない罪と罰
古い時代の人生の目的は、全世界と言って良い範疇で「子孫繁栄」でした。
これは時代が古ければ古いほど、です。
とりわけ処女と非処女と経産婦には、明確な地位の差が儲けられています。
元々の日本の庶民層に、処女性を重視する貞操観はあまり存在しませんでしたが、貞操観のあった西欧社会がどうであったかというと、
「処女は神聖だが、子供を産まないで死んだら罪悪」
が基本です。
西欧の処女の神聖さと言うのは、義務を果たした「一人前」の神聖さではありません。
まだ神に所有されている人間、に近いです。
日本の、「三歳までは神のもの」に近い感じがします。
尚、西欧の古代においては男女ともに不能者への明確な社会的制裁が存在します。
これは多くのアフリカ社会でも同様で、エチオピアのある部族では明確に、処女と非処女と経産婦には階級が存在しています。厳密に言うと、女性器割礼の存在するアフリカ圏では、ここに割礼済かどうかも関わってきます。
中国圏などでも同様で、という事は日本も大体同じです。
私の生まれた地域で十数年前に、当時の庄屋の記した記録が発見されることがありました。
ここで語られたのは、凄まじい乳幼児死亡率です。
産めよ増やせよとそこまで出産を重視した理由は、恐らくここにもあったでしょう。
産んでも産んでもある程度は亡くなってしまうのです。だから、養子では挽回できないのです。
乳幼児死亡率を、現代の常識で考えてはいけません。
西岡秀雄も「性神大成」において、子供を埋めない女性に体する社会からの甚大な侮辱・制裁があったことを書かれています。
「仕方ないよ」では済まされなかったのです。
ちなみに、私の母方の先祖は、10人兄弟のうち5人が亡くなったと聞いています。
そういう時代だったのでしょう。
今はもうそういう時代じゃないです
古い時代、乳幼児死亡率もありましたが、子供は労働力でもありました。
だから子供は人身売買を生業とする商売人に売り買いされて、働いたのです。
これは戦前の1925年(大正14年)に細井和喜蔵によって世に出た「女工哀史」を見ても明らかです。
どれほどに貧しく、そのためにどれほど子供が命がけで働いたのかが綴られています。
また、超有名な話ですが「おじろく・おばさ」という、完全労働力としてだけでの人間も存在しました。
これは長男以外の兄弟すべてが、家から独立することは許さずに奴隷労働力としてのみの人生を送るという、今では考えられないような制度です。
このように、子供というのは物質的に財産だったのです。
精神面での話はしてません。
感染所作で、性行為と豊作を結び付けているわけですが、実質子供はある種の動産で、収穫物と変わらない一面もあったのです。
しかし、現代はそういう時代ではありません。
子供はぜいたく品と揶揄する人もいるほどに、時代は変わったのです。
昔は「乱交」が救済措置として機能していたのかもしれませんが、現代では「乱交」にそのような意義はもうありません。
そもそも、子供は労働力ではありません。
ただ、あなたが今この飽食の社会で生活しているその恩恵は、そうやって数々の人たちの苦しみの上に成就した可能性も、考えてみてもいいのかもしれない。
感染所作による祈願などなくなった現代に「神はいない」と見るか、今まで連綿と紡がれてきた祈りの歴史を人身御供、現代社会を結果ととらえて「神はいる」と見るか、それはあなた次第です。
参考文献
「性風土記」藤林貞夫(1967年)
「アフリカの女性とリプロダクション」落合雄彦ほか(2016年)
「タブーに挑む民俗学: 中山太郎土俗学エッセイ集成」中山 太郎 (著), 礫川 全次 (編)(2007年)
「生贄と人柱の民俗学」礫川 全次 (編)(1998年)
「性神大成 日本における性器崇拝の史的研究」西岡秀雄(1956年)
「性の民俗叢書1~5 復刻版」川村邦光(編)(1998年)
「死の舞踏~西欧における死の表現~」木間瀬精三(1974年)
「女工哀史」細井和喜蔵(1925年)