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「犬神憑き」と蟲術と憑物信仰

「犬神憑き」と蟲術と憑物信仰

もみじのライン

 

※この記事には動物関係の習俗として、少々過激目の要素が含まれてはいます。

 ブログという全体公開記事の倫理上の配慮で、一応直接的表現を控えています。

 それでも苦手な方がいるかもしれませんので、これを警告とさせていただきます。

 

登場キャラクターの紹介はこちらからどうぞ。

 

※2024/08/26 一部改訂

 

 

「狐憑き(きつねつき)」という言葉をご存じでしょうか?

 

この言葉の意味を知らなかったとしても、聞いた事くらいはあると思います。

「狐憑き」とは、もう言葉の意味そのまんま、狐に憑りつかれた状態を指します。

 

ただ「狐憑き」なんて憑物・民俗・オカルト界のスターダムを、別に私などが今さら解説しなくても、詳しくて好きな人は山のようにいらっしゃるので、別にここじゃなくても調べられるし楽しめると思います。

 

狐憑きを題材にした、アニメ・漫画・ゲームも山のようにあるし。

 

今回は少しマイナーな「犬神(いぬがみ)憑き」と、その背景について。

または「憑物」という現象全体に対しての記事です。

 

これは、その他カテゴリ「邪視(ナザールボンジュウ)」の記事とも関連があります。

 

その記事を読むための前提記事と思ってもらってもいいです。

 

 

犬神(いぬがみ)とは何なのか?


「犬神(いぬがみ)」とは「狗神」「インガミ」「インガメ」「スイカズラ」とも称する、四国を中心に西日本地域で信仰される憑物現象の一種です。

中でも本場は土佐(高知県)であるとされました。

 

犬神は「いぬ」です。

つまり、日本で古い時代の「いぬ」なので、オオカミも含んだ「犬や狼」の憑き物を指します。

 

民俗学的には、「犬神」は蛇神や狐憑きとも一部混同されますが、ややこしいので今回の「犬神」は、あくまでも「犬神」という犬系統の憑き物としての話をします。

 

 

例えば「狐憑き」は、こちらが何もしていなくとも勝手に憑りつかれたり化かされたりと、主導権が狐側にある事が多く、割と狐側の自由意志で憑いたりすることも多いです。

油揚げが欲しいから一時的に憑いて、油揚げを食べて離れるとか。

これは、狐が自分の意思で憑りつく能力を持っている事が特徴です。

 

 

しかし犬神はそうではありません。

 

聞くもおぞましい方法で、人間の手によって“犬を強制的に祟り神として作る”行為が基軸にあります。

そこにその犬自体の性格や自由意志などは、一切存在していません。

憑物・狐憑きと犬神憑きの概要

 

実は、狐憑きというのは江戸時代に爆発的に流行した「憑物(病気と同じような扱い)」なのですが、犬神の場合はこのような爆発的流行は無いようです。

歴史的にも狐憑きの流行した江戸時代よりも古い様子です。

 

しかも、江戸時代には江戸の人からしても

「犬神って何?そんなの知らな~い!まぁ西の方にはあるとかないとか…。」

みたいな反応。

 

実際に、犬神は山陽・山陰地方を中心とする限られた地域のものでした。

 

「犬神」とは、邪悪でマイナーでマニアックな、人間主導の邪悪な「蠱術(こじゅつ)」の一種だったのです。

 

 

既に名前からヤバそうな「蠱術(こじゅつ)」とは


江戸時代中期の国語辞典「和訓栞(わくんのしおり)」

同じく江戸時代中期の随筆「紫芝園漫筆(ししえんまんぴつ)」

これら書物では、「犬神」を「犬蠱(けんこ)」と書いています。

 

この「犬蠱(けんこ)」の「蠱(こ)」というのは、「蠱術(こじゅつ)」「蠱毒(こどく)」などを指します。

 

「蠱術(こじゅつ)」とは、虫が集合した漢字を見てわかる通り“虫を使った呪い”です。

この虫ではなく犬バージョンを「犬蠱(けんこ)」と言い、これが「犬神」なのです。

 

「蠱術」は、古代中国で編み出された、虫や動物を使った呪術です。

これはなんと現代でも中国及び、日本でも行われているらしいです。

 

いや見たわけじゃないし知らんけど…。

 

 

「蟲術」の一般的な方法は次の通りです。

ムカデ、カエル、ヘビ、クモなどの昆虫・爬虫類を壺や容器の中に一定期間入れて、最後の一匹になるまで戦わせます。

この最後に残った一匹にしかるべき処置をしたのち、祀る事で、その虫を神とする。

その遺骸を煎じて毒とする方法、毒虫の場合はそこから抽出した毒、もしくは毒は作らず祈願をする方法などがあります。

 

 

繰り返しますが、「犬神」「犬蠱」というのは、これの犬バージョンです。

 

ちょっとね、これはね、倫理的観点から、詳細な作り方を閲覧フリーのブログでは載せません。

いくつかの方法が伝えられていますが、どの方法であっても非常に残虐です。

上記のような戦わせる方法の他にも、様々な方法が伝わっている…という事です。

 

 

ただ一つ言えることは、何の罪もない犬の“恨みの感情”を最大限に引き出すように設計されています。

 

「犬神」の作り方は地方によっていろいろな作法がありますが、ほぼ基本はこの形式と思ってください。

 

犬神の作り方

狼や犬は魔よけのシンボルとして有名なのに…


実は、イヌ=オオカミの牙というのは、憑き物除けの魔よけの代名詞です。

むしろ犬神よりも、こちらの方が認知度が高いです。

 

秩父の大口真神はオオカミの神様で、狐憑きを落とすのに大変有効とされます。

そしてその大口真神の神社の護符や、オオカミの牙、オオカミの毛皮、どれも狐憑きを祓ったり予防したりするための、大変ポピュラーなアイテムとして知られています。

 

一説には「四国には狐が生息していないから、かわりに犬神がいる」なんて言いますが、嘘です。

四国に狐、ちゃんと棲息してます。

しかも四国には狐憑きもあります。

 この設定上の矛盾の為なのかどうかは謎ですが、四国における「犬神除け」のマジックアイテムは「狐の牙」なんだそうです。

 

ちなみに実は、西欧でも「オオカミ系のアイテム」は“魔”に対する魔よけとされてます。

その“魔”は、本質的には日本と同じものです。

 

日本と同じ理由で発生する“魔”を防ぐアイテムが同じく“オオカミ”であるのは、偶然なのでしょうか?

 

“とある魔”とは、嫉妬の感情です。

 

狐の牙と狼の牙は魔よけの呪術的アイテム

「憑物筋(つきものすじ)」という憑物を使役する人々の存在と、嫉妬の感情


では「犬神」のようなおぞましい呪法を使って、一体何をするのでしょうか?

 

江戸時代中期の「安斎随筆(あんざいずいひつ)」や、

明治44年頃の「扶桑記勝(ふそうきしょう)」

江戸時代前期の「伽婢子(おとぎぼうこ)」などに、その効果が書かれています。

 

 

「犬神」は婚姻や世襲で「犬神筋(いぬがみすじ)」の家に憑く。

(犬神筋の家が犬神を使役している)

その「犬神筋」の者が他人の所有物を羨ましいと思った場合、犬神がその持ち物の所有者に取り憑いて、その人は病に苦しんだり精神が錯乱して、最悪亡くなってしまう。

これを回避するためには、すぐにその犬神を使役した者(犬神筋)の欲しがるものを彼らに与えなければならない。

または、犬神筋のものが恨みのある人に対し、報復行為として憑りつかせるように仕向ける。

 

このような理由から、欲しがるものを要求できる「犬神筋」の家は大変裕福だと信じられました。

そして同時に、大変疎まれました。

 

犬神は婚姻で受け継ぐものなので、その家と婚姻関係を結べば自分の家まで「犬神筋」になってしまう。(ここ、後々伏線として割と重要です)

 

なので、この「犬神筋」は地域から疎まれ、実際に土佐では長曾我部氏が「犬神筋」とされる人々を焼き殺すような事件まで起こってしまいました。

狼は狐を尅するという

 

ただ、ですよ。

 

この構図、憑き物を使役する「憑物筋(つきものすじ)」の伝承ではよくあるパターンの話なんです。

 

例えば蛇の憑き物「トウビョウ」を遣う「トウビョウ持ち」。

オコジョの憑き物「オーサキ」を遣う「オーサキ持ち」。

飛騨・信州の「牛蒡種(ごんぼだね)」。

勿論狐も当てはまる。

 

 

この共通点として、

 

① 憑物筋はお金持ちで、尊敬もされている

② 憑物は血で継承されるので、婚姻NG

③ 危害を加えられるので厄介者扱い

 

というもので、これ、大体の村社会での構図が見えてくるよね。

 

しかもこれらの事例は全国的ではあるものの、比較的近代まで大真面目に残存したのは、都市開発が他地方よりも遅れた山陰地方とされました。

 

証拠はないのに、憑物治療の祈祷師が「〇〇の家が怪しい」と言ったり、近隣の総意で「あそこの家お金持ちだし、怪しくない?」という意見が当たり前みたいに信じられて採用されたようです。

でも憑物自体は憑物筋の家の者にしか見えないとされたし、その本人の証言など誰も信じないのだから、祈祷師や村民の一存という面が大きくなる。

 

これは規模こそ違えど、中世の魔女狩りと同じような状況です。

 

 

この背景にあるのは恐らく、村社会での様々な「嫉妬」の感情です。

出る杭を打ちたいのです。

そして共同体の秩序というのは、杭を打つ・排除することで維持されるのです。

 

これこそが「犠牲」ですが、犠牲についてここで深堀は控えます。話逸れるし。

 

 

この「憑物筋」側からの生の声は、速水保孝「憑きもの持ち迷信―その歴史的考察」という本で触れることができます。

この著者の速水氏は、狐憑き筋と言われたの家の方です。

 

小豆飯は狐も狼も大好物であると、古来考えられていた

「憑物現象」の症状から見る病状


例えば、「狸憑き(たぬきつき)」という憑物があります。

この症状は次の通りです。

 

タヌキが憑りつくと、ごろごろ寝てばかりになる。

そして食欲だけが異常になって、大食いをする。

この結果、太ってタヌキのように太鼓腹になるが、逆にガリガリに痩せてしまう人もいる。

そして最終的には死んでしまう。

 

これ、まんま、糖尿病の症状です。

 

 

こういうの多いです。

 

蝦蟇(ガマ)なら耳炎とか脱毛症。

猿神は低血糖。

トウビョウは多分リウマチじゃないかと思う。

 

 

当時、当たり前ですが現代の医学は存在しません。

加えて信仰が盛んな土壌がある。

憑物自体は、このような事例の理由付けにされてしまったと考えるのが妥当と思います。

 

 

何もこれは日本だけの事でなく、E.T.エルワージ氏は自著「邪視」の中で、19世紀のイギリスでも同じような事があり、あちらにも「憑物筋」に相当する人たちがいて、その人たちからの呪いであると信じることで医療を拒否してしまい、病人が亡くなってしまう事例が紹介されています。

 

実際、「憑物筋」と疑われた家はたまったものではなかったようです。

村八分に近い仕打ちを受けて、結果、財を失うことになってしまうこともある。

 

だから「憑物筋」の説明には高確率で次のように記されています。

 

“お金持ちだが、憑き物に嫌われることで、逆に貧乏になりさがることもある”と。

 

狐を使役する際にも餌付けとして小豆が利用される

信じる者が救われない信仰


どちらにせよ、こういった憑物現象は、その憑物を信じている人と信じている地域でしか発生しません。

 

ごく一部にそうではない原因不明のモノもあるようですが、この集団ヒステリーのような現象は、日本・海外問わずその地域の信仰に依存しています。

 

 

昭和の日本でも、「こっくりさん」で集団ヒステリー・集団催眠が発生した事件がいくつか存在します。

海外でも、やはり同様の事例があります。

 

実は性器信仰でも似たような事例があるんですよ。

結構有名な話なんですけど、男性器の神がさまよう話があって、憑くわけではないんですが、少女が突然ひきつけを起こして餌食(破瓜)になったと訴えるという伝承が、埼玉地方をはじめ各地に存在します。

 

 

ただ、何でもかんでも神霊が原因じゃないだろって考え方は、何も現代の専売特許ではありません。

 

江戸時代に書かれた中山三柳の「醍醐随筆(だいごずいひつ)」では、四国の医者が次のように語っています。

「まず何か症状の激しい病気に罹ると、みな最初に医者ではなく祈祷師に相談する。なので、彼らはこれは憑物の仕業だというので、みんなそちらを信じて祈祷を受ける。こうやって時間をロスするから、早く手当すれば治るような病気でも、最悪手遅れになって死んでしまったりする。」(意訳)

 

これは先に書いたE.T.エルワージも同著内で、比較的近世のヨーロッパでの事例として、全く同じ事を書いてます。

つまり、西欧でも「これは誰かによる呪いに違いない!祈祷師に相談だ!」という事をやっていたわけです。

頑なな人はこの考えを断固として翻さず、医療を拒否し続けたようです。

 

そしてこの祈祷の結果、患者が助かったとします。

すると「祈祷師の言ったことは真実だったんだ!あいつが〇〇を呪ったんだ!」となる。

助からなかった場合でも「やっぱり呪い(呪術)は本当にあったんだ…〇〇が殺したんだ…!」となる。

 

どっちにしたって、信じる人間の中では信仰と差別が補強されるだけ。

これ現代の信仰でも絶対あるよね。

 

ただし、この醍醐随筆の中でも、「それでも1~2割は本物の狐憑き」というていで書かれています。

さて、どうなんでしょうね?

 

さっき読んでいたのは何の本?

そもそも「気が狂う」っていう状況…


憑物が憑いた、となれば、やっぱり落とす努力をするんですよ、宗教的に。

でもその方法が人道的なものばかりではないのです。

 

中部地方には「キツネ焼き」という恐ろしい狐落としの方法も存在しました。

その名のとおり、患者を火あぶりにするんです。

そうして最終的には命を落とした人もいたのです。

 

 

大抵、何に憑かれてもほぼ出てくる症状の中に「精神錯乱」があります。

この記事内でも説明しましたが、もちろん「犬神」にも精神錯乱効果があります。

 

でも、精神錯乱というけど、これって精神の病です。

精神的に弱い人って、どういう人かわかりますか?

 

真面目で、繊細で、人の気持ちを察知する感受性が強い。

頑張り屋だったり、何かの揉め事の原因について、他人を責めずに自分を責めすぎる。

もしくは何か耐えられない程の大きな苦痛があって、心が壊れたのかもしれない。

何にしたって、本来優しく思慮深い人が心を壊してしまったのかもしれない。

 

現代は、そういった精神の弱った人を、火あぶりにしたりするような社会ではないかもしれないけど、何かのしわ寄せが相変わらずそういった優しい人たちの心を砕くような点は、今も昔も変わらない。

 

 

更に、犬神を撃退されたり犬神筋が犬神に嫌われた場合、その矛先が犬神筋の者に向いて、逆に犬神を使役した者の気が狂わされることもある…という。

そりゃあそうだよ。

人より裕福だったり、変わり者というだけの理由だったのかもしれないけど、それだけの理由で、自分とは無関係な病人に呪いをかけたと揶揄されて村八分を受けるんだから。

 

 

昔は良かった…のかもしれないけど、今の方が良い事は沢山ある。

民俗学を学んでいると、そう思うことが多いです。

かの柳田國男氏も、憑き物迷信のような社会的に害悪部分が大きすぎる俗信は、その撲滅を図るべき、と、速水保孝氏の著書に寄せた序文で書かれています。

 

それほど昔の世界は弱者(よくない言い方だけど)にとって、非常に残酷です。

 

ただし、人間は知らず知らずのうちに、共同体の秩序を保つための犠牲を必要とする、生物としての実態がある。

ここに関して今、データを持ち出して長々と説明するつもりはありません。

 

しかし、これからの時代はそのような悲劇が少なくなるように、今よりも優しい世界になればよいなと思います。

 

犬神を「作る」のは蟲術

更に深く、犬神の話をしたいと思う(余談)


ここからは個人的に、もう少し「犬神」という俗信について書いていこうと思います。

 

 

安田徳太郎という、医師であり歴史研究家でもある方がいました。

この方はwikiがわかりやすいですが、旧ソビエト連邦のスパイとしてスパイゾルゲ事件の容疑者のひとり、と言ったほうが有名です。

この方は基本的には医師ですが、民俗学についての著書も存在します。

 

 

ただしその内容は、本人が後年認めていますが、かなり安田氏自身の政治的思想が反映されています。

読めばわかりますが、かなり恣意的な部分が目立ちます。

本人も後に著書の内容に対してその欠点を認め、恣意的な内容については撤回されています。

したがって、この方の著書は学術的な資料としては認められないようです。

 

個人的には、だからと言ってこの安田氏の主張が必ずしも間違っているという訳ではないと思います。

こういった一つの意見を、その背景を理由にばっさり切り捨てるような考え方は好ましくないと思います。

私は専門家じゃないただの愛好者なので、割とそのあたりの暗黙の了解やルールはクソくらえだと思っています。

 

 

この方が、昭和32年刊行「人間の歴史6」の中で、わずかながら「犬神」について語っています。

 

 

山陽・山陰で「犬神」は、「インガミ」と呼ばれているということは、この記事の冒頭でも記載しました。

これには「外道(げどう)」という別名も存在します。

 

安田氏曰く、「イン」と「ガミ」と「ゲドー」は、レプチャ語やチベット語でどちらも「魔(祀らなければ祟ってくるタイプの厄介な神のような意味)」を表している。

更に、「犬神」も「外道」も家筋に憑くという。

この家筋に対して畏怖や差別感情を抱いた結果の悲劇については既に書きましたが、だからといってこれらの家筋は賤民ではなく、元来はそれなりの家柄であった場合が多い。

 

古代、家筋というのは女系であったようです。

この部分には明確な記録が無いようですが、室町時代ですと庶民はまだ通い婚であったと言われています。

この通い婚は、女性は終生実家暮らしで、男性側が通うというもの。

これは子供が生まれようが、変わりません。

つまりこの状態では、血筋は女性側が受け継ぐことになるわけです。(藤林貞夫「性風土記」より)

これが、上の記事で重要だと言った「犬神は女性の血筋に憑く」という部分にリンクします。

 

安田氏はこの犬神筋と呼ばれる家柄がなんであるかについて語ってはいるのですが、その部分は現在でも意見が分かれる上に、センシティブなので書きません。

重要なのは、そこではないからです。

 

 

重要であると思うのは、この語句がチベット方面の言葉に関連しているという事の方だと思います。

しかも安田氏曰く、意味が通じるのは「イン」「ガミ」「ゲドー」だけではない様なので。

 

 

実は犬神には、蟲術としての伝承の他にもうひとつの伝承が存在します。

 

 

この伝承はいくつかのバリエーションが存在するんですが、共通するのは「犬神が中国大陸方面から飛来した」というものです。

もしくは「中国大陸方面から流れ着いた」とか。

類型がいくつかあるので、wikiの記述はそのうちのひとつにすぎませんので注意。

 

このいくつかの伝承の共通点として「中国」と断定はしておらず、なぜか「中国大陸方面」なんですよね。

しかも九尾の狐の体の一部とする話まである。

 

ちなみに、弘法大師や最澄が持って帰ってきたという伝承もありますが、これも方面としては中国大陸方面ですね。

 

 

また、日本人の起源を探るDNA研究において、日本人とチベット人に共通の遺伝子が発見されています。

私は専門家でも研究者でもありませんので断定も名言もできませんが、安田氏の主張というのはあながち荒唐無稽なものではなかったのではないかと感じます。

例え研究方法を批判され、本人の偏った思想が入り込んでいたとしても、目を付けたところまで間違っていたわけではないのでは?

 

 

となると、「犬神筋」は実在の歴史上の流れの中で、渡来系の原因を持つ蔑称であった可能性が高いです。

これを採用すると、チベット系先住日本人と渡来系弥生人の軋轢みたいな構図になりやすいですが、多分そんな簡単な話じゃないと思う。

 

更にこんな伝承もあります。

犬神は九尾の狐の一部であり、中国方面から上陸した狐は色々あって殺生石となる。

殺生石は全国に三か所存在する。

犬神のルーツを辿るためには、絶対に「九尾の狐」を避けては通れないと考えます。

さて、現実的に考えて、鳥羽上皇を殺そうとした玉藻前(九尾の狐)とは何者で、どこにルーツがあったのか?

 

 

これについて更に考察していくと、天孫降臨などについても触れざるを得ないので、また余程気が向いたら考察します。

でも実はあんまり日本神話・古神道系自体にはそこまで興味無いから気が向くかどうか知らんけど…。

 

開国当時の時勢や政府方針を知ると「記紀」とか「日本書紀」って、それこそが恣意的と取られても仕方ないんじゃないの?みたいな過程もあると思うので…。

 


参考文献

「図説 憑物呪法全書」豊嶋泰國

「邪視」E.T.エルワージ

「憑きもの持ち迷信―その歴史的考察」速水保孝

「人間の歴史6」安田徳太郎

「性風土記」藤林貞夫