性器信仰・生殖器崇拝(性崇拝)って何?
※この記事は、あくまでも文化的な話としてですが「性」を扱っています。
あくまでも民間信仰のお話であり性的コンテンツではありません。多分。
※下ネタ的なBL(ボーイズラブ)表現があります。
※キャラクターの紹介はこちらからどうぞ。
「性崇拝(せいすうはい)」
「性器信仰(せいきしんこう)」
「生殖器崇拝(せいしょくきすうはい)」
「性神信仰(せいしんしんこう)」
って、みなさんご存じでしょうか?
民俗学・考古学の中でもニッチな分野かもしれませんが、私は大好きです。
これらは今、消滅の危機にあります。
性崇拝の分野は、考古学者である故・西岡秀雄氏曰く
「一般の人は性を好奇的な目で眺めるくせがつき」
「学者たちもこの問題を重要とは思ってはいても、いざとなると遠慮または敬遠してきた」
そうで、実はこの分野を専門的に取り扱った書籍は民俗学・考古学全般に比べれば多くはありません。
…が、それは昭和初期の話であって、結構いろんな民俗学の本のワンコーナーや、似ている別ジャンルの本にちょろっと出てきたりはします。
でも、体系的に具体的に専門的研究をしている人は少ない印象です。
私はこの「性崇拝」「性器信仰」「生殖器崇拝」「性神信仰」について、割と本気で真面目に解説する予定です。
別に私個人はどう思われても結構ですが、これら風化しつつある俗習を、おかしな偏見を取り払って正しい形で知っていただけたらとても嬉しく思います。
(この性崇拝のコンテンツでは、性崇拝から稚児灌頂・立川流までも書く予定です。)
まぁ、それなりに読みやすいように少し茶化したりするかもしれないけどね!
ほら早速茶化した…。
“性器信仰”大国である国、それが「日本」
性器信仰(せいきしんこう)とは、全世界に広く見られる原始的な信仰です。
原始的な信仰と言うのは、キリスト教とか仏教とか、そういう文化的・体系的な宗教が発生する前のもっと単純な宗教って事です。これはディスっているわけではないです。
性器信仰は世界各地に広く存在しました(過去形)が、現在社会においてもここまで色々な痕跡が現存している日本は、まさに性器信仰大国です。
と言っても、「は?どこにあるんだ?」と思うでしょ?
案外簡単に見つけられるかもしれません。
特に、東北から関東にかけて。あと九州地方。
北海道と沖縄はちょっと難しいかも。
それ以外でも全国津々浦々、どこの都会であろうが田舎であろうが存在する、道端の小さな祠(ほこら)。
意識していなければ、全く気が付かない存在かもしれません。
それは三叉路であったり四叉路であったり、何もない道端であったり、橋のたもとであったり、集落の境目だったり、神社の出口の片隅かもしれません。
小さな祠に石像、あるいは野ざらし、山中の草むらの中。
これを道祖神(どうそじん)と言います。
その道祖神、良く見ると、性器がはっきり描かれているかも。
もしくは、石像そのものが性器の形をしているかも。
それが、性器信仰のひとつの痕跡です。
また、神社自体が大々的に性器信仰を行っているような、神奈川県の金山神社はとても有名です。
山口県の場合は神社ではなく麻羅観音と呼ばれる寺院です。
神社だけに限らず、祠・寺院…と色々な形態があります。
性器信仰はいつからあったのか?
詳しくは不明ですが、性器崇拝の痕跡を伺える出土品の最古のものは、縄文時代後期(新石器時代)頃のものです。
これは大体7000~6000年前のもの。
(4~5000年前と言う説もあります。)
でもこれは国内での話で、海外ではもう少し早く生殖器崇拝が発生していたようです。
ちなみに日本以外で性器崇拝が盛んだとよく取り上げられるのが古代インドですが、古代エジプトもなかなか…。
常に勃起している男神「ミン」なんかはとても有名です。
ちなみに古代エジプトでは、男性の旅人が船で川を下ると川沿いに女性が集まって、我先にと自分の陰部を見せてアピールしたとか言うし。
何にせよ、古代世界では現在とはまるで常識も環境も宗教も違います。
特に現在の性文化は、明治以降に根付いた部分が大きいと思うので、古代の性文化を現在の常識では語れません。
どうして性器を崇拝するの?
男女が性交を経て、子供を儲ける神秘。
まぁそのまんまなんだけど、古代には現在のような科学の知識はありません。
また、人の死亡率も色々な要因で現代よりも圧倒的に高かった。
子宝に恵まれるという事は、古代世界では、直接的にその集落・部族・種族の繁栄を表していました。
これを重視するのは自然な流れです。
しかも女性器の子供を産む機能は一目瞭然ですが、医学が発達していない時代では、男性器の機能はイマイチわかりにくい…。
こうして人々の関心はまず、自然と女性器へ向かって行きました。
…とは言え女性器だけでは子供は産めません。
男性器信仰もセットで考えるべきです。
特に狩りを中心に生活している民族や、放浪を行う民族の場合は食料調達が困難です。
この場合食料調達能力の高い男性の権力が強くなるためか、このようなケースは男性器崇拝が多いようです。
半面、近年農耕が行われていたという論調が強い日本の縄文時代の出土品には、女性器崇拝の痕跡が伺えるものが圧倒的多数を占めます。
以前の研究では縄文時代には農耕は行われていなかったという声が大きかったようで、このミスマッチ(なんで狩猟メインなのに女性器崇拝出土品が多いの?)に答えが出なかったようですが、今だと見方が変わりますね。
ちなみに、上記の考え方は「子孫繁栄→性器信仰」だ、という説ですが、そうではない説も存在しています。
この場合は、先に「無病息災・子孫繁栄信仰」があって、そこから転じて身近な性器・性行為への信仰に波及したという考え方です。
古代世界の本当の事はわかりませんし、私はどちらの説があっていいと思います。
なんせ日本だけの宗教では無いので、このどちらも正解かもしれないからです。
用途不明の「女性器を強調した土偶」と「男性器風の石棒」
現在でも用途に明確な答えの出ない、古代の出土品。
それが女性器を強調した大量の土偶(石器時代)と、男性器を象った石の棒(縄文時代)です。
「原始文化研究上、諸説を生じた際には、最も低級な案を採用せよ」
(大山柏・昭和23年「史前芸術」)
私はこの言葉を押したい。
「女性器を強調した土偶」
このような大量の土偶には、数々の研究者が「何に使っていたのかな?」と考えを巡らせましたが、主に次のような案が提唱されました。
- 母神崇拝の痕跡だ!(祭具)
- 安産祈願のお守りじゃないかな?(魔よけ)
- ただの暇つぶし作品で特に意味は無いんじゃ?
- モテない男子の劣情作品なのでは?
などなど色んな説が存在しますが、当然正解は不明です。
案外低俗とされる理由もあり得るのでは、個人的には思います。
魔改造フィギュアみたいなさ…知らんけど。
でもこの魔改造フィギュア案も、なんと、提唱されている専門家もおられます…!
すっげぇよね。
「男性器風の石棒・石剣」
そして、上記の土偶よりも後の時代(縄文時代)に作られたとする大量の石の棒。
ただの石の棒ではなく、男性器を象っています。
いや、これただの先端が膨らんでる棒やん…程度のものを、石棒。
これはガッツリ男性器だわ…という感じのものを、石剣と言います。
縄文時代は女性器崇拝のほうが優勢であったとか言われますが、それは土器や土偶に女性器の描写が多いからです。
石棒には「両頭」と言って棒の両端に亀頭が付いたものと、「単頭」と言って棒の片端に亀頭が模されたものがあります。
ただ、この形状がどうして男性器だと思われるのかと言うと、石剣の中には割礼(かつれい)と見られる跡が付けられているものがあるからだそうです。
割礼っていうのは、男性器の先の亀頭をおおっている包皮という皮膚を切ること、です。
女子にも割礼は存在しますが、この場合は男性器への割礼です。
この石棒・石剣は現代に至るまでの時代で何度も出土しては、当時の人々にも用途は全くわからず
「神軍の鏃(やじり)だ!」とか「天狗の爪だ!」とか「雷爪、雷太鼓の撥(ばち)だ!」
とか色々言われてきました。
挙句、とある都内の神社では寺宝「雷槌」として祀られることになりました。
同様の神社は少なくなく、石剣・石棒を御神体にしていた神社は珍しくはありませんでした。
この用途も現代まで様々に議論されています。
- 護身用の武器だ!
- いや、権力の象徴だ!
- いやいや、麦や木の実をすりつぶしていたんだよ?
- いいえ、ご神体です!
- それディルド。
真面目な本では大体真面目に議論されてますが、そうでない出典元になると途端にディルド説が出てくるので、大山柏氏に従ってこの中で最も低級な案を採用するなら結局ディルド説になっちゃうんですよ。
まぁ大小サイズ色々のようなので…。
ちなみに実際にどうだったかはさておき、小板橋靖正氏の「妙義山麓の性神風土記(上)」には石棒ではないですが、鉄製の男性器型ご神体がディルドとして使われた事でみなぎってしまう(語弊あるんだけど)伝承が掲載されています。
これはまた、別の記事でちゃんと紹介します。
現代日本人の感覚は通用しない世界、それが「生殖器崇拝」の世界!
例えば世界遺産として有名な「ポンペイ」という古代都市があります。
イタリアのナポリ近郊にあった都市ポンペイは、西暦79年にヴェスヴィオ火山の大爆発と地震により壊滅しました。
この時代は古代ローマ時代ですが、性に対してかなり奔放な時代でもありました。
ポンペイの出土品の中には、露骨に男性器のくっついた家具がそれなりに多いです。
猫足ならぬ男性器足の調度品などもありました。
そもそも、性を秘匿すべきもの・恥ずかしいものという風潮自体が古来常識だったわけでは無く、常識と言うものは時代時代で全く色の違うものです。
前述の古代エジプトの「女性器見て見て合戦」の風習なんかも、現在これやってる人いたら確実に逮捕案件ですが、古代はそうではありませんでした。
LGBTをよく耳にする昨今ですが、つい200年前までは江戸時代。
男色が“粋”(おしゃれ、みたいなもの)とされた時代でした。
現代の価値観と折り合わず、排斥される神々…
そんな今とは違う常識を持つ、性器崇拝。
体系的に存在するわけでは無く、いくつかの系譜のある謎の多い分野ですが、この日本にはまだ多く現存しています。
それでも性におおらかだった江戸時代から、転機である明治維新、第二次世界大戦を経て、令和の現代においてはその多くが誰からも顧みられることもなくなり、忘れ去られ、もはや風前の灯火となっています。
日本では、神道は数々の他の宗教と共存しながら今でも多くの寺社仏閣を残し、盆暮れ正月は大変賑わっています。
その一方で、なぜかつて一番身近であったはずの性神だけが排斥され、見世物にされ、破壊され、蹂躙され、忘れ去られてしまったのか。
そもそも、生殖器信仰は本当に共存することが出来なかったのでしょうか?
現在、どのようなかたちになっているのでしょうか。
そんな事をこれから少しずつ書いていきます。
参考文献
「性神大成」西岡秀雄
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか 民俗信仰を読み解く」新谷尚紀
「カミの発生 日本文化と信仰」荻原秀三郎
「中山太郎土俗学エッセイ集成 タブーに挑む民俗学」中山太郎(著)礫川 全次(編)
「まぐわう神々」神崎宣武
「古代エジプトの性」リーセ マニケ (著), Lise Manniche (原名), 酒井 傳六 (翻訳)
「妙義山麓の性神風土記(上)」小板橋靖正