西欧の邪視信仰とナザール・ボンジュウ
※この記事は、ほんの少しですが下ネタを扱っています。
※狐と狼カテゴリの「「犬神憑き」と蟲術と憑物信仰」という記事の内容に関連があります。そちらを先に読んでいただいても構いませんし、読まなくてもOKです。
※キャラクターの紹介はこちらからどうぞ。
「ナザール・ボンジュウ」の造形が少し怖いです。
「ナザール・ボンジュウ」とは、有名なトルコ土産の「お守り」です。
好きな方も非常に多く、トルコや民族系のお店であれば、間違いなく販売されています。
iPhoneでは「ナザール・ボンジュウ」と入力すると、絵文字が出てきますので、それくらいポピュラーなものと考えても良いと思います。
こんな感じの青い瞳を模したアクセサリーです。
誰でも一度は見た事があるのではないかな?
(これは私が描いたやつ)
しかし、これについて本当の意味で詳細に調べた人はどれくらいいるのでしょうか?
「ナザール・ボンジュウ」は幸運を運んできたり、悪い者から守ってくれるお守りだと皆口をそろえて言いますが、本当にそうなんでしょうか?
ナザール・ボンジュウのWikiを見ても、亜種とされるハムサのWikiを見ても、結局肝心な部分はわからない。
解説ブログや、ファッション通販サイトの解説も、結局Wikiと何も変わらない。
釈然としない。
「ナザール・ボンジュウ」とは一体何なのでしょうか。
今回、できるだけわかりやすくはしようと思ってるものの、多分限界があります。
エジプト文明とギリシア・ローマ文明にある程度の知識が無いとちょっときついかも…。
面倒になったら結論まで飛ばしてね。
あと、一応今回視覚化しやすいように下記の年表を用意しました。
この時点で無理だと思った場合も結論まで飛ばしてください。
紀元前の数字が増える程古い時代、紀元後の数字が増える程、最近の新しい時代です。
古代エジプト→古代ローマの順番で古いという事を覚えておけば、ひとまずOKです。
西欧に根強い「邪視信仰(じゃししんこう)」
簡単に言えば「ナザール・ボンジュウ」とは、人工的に作った「邪視(じゃし)」であり、天然の「邪視(じゃし)」に対抗するための魔道具です。
つまり、ゴジラVSメカゴジラみたいなものだと思ってください。
このメカゴジラにあたるものが「ナザール・ボンジュウ」です。
西欧・東欧には根強い「邪視信仰(じゃししんこう)」というものがあります。
これは西欧や東欧だけではなく世界各地にもありますし、実は日本にもあります。
世界最古の邪視信仰の痕跡は、古代エジプト(紀元前3000年頃~紀元前30年頃)の記念碑の中に多く存在します。
また「聖書」の中にも、12を超える編で邪視について触れられています。
それほどまでに「邪視」は、特に海外では根強い信仰なのです。
ちなみに日本の邪視信仰を「牛蒡種(ごんぼだね)」と言います。
これは憑物の一種ですので、詳しくは犬神憑きの記事をご覧ください。
牛蒡種は犬神の兄弟のような憑物で、一部の伝承では犬神とともに九尾の狐から分離したと言われています。
この日本の邪視「牛蒡種(ごんぼだね)」は、西欧の邪視信仰と内容はほぼ一緒です。
古代エジプト(紀元前3000年頃~紀元前30年頃)、古代ローマ・ギリシア(紀元前753年~476年あたり)、聖書(紀元前10世紀から紀元前1世紀と推定)の中でも当たり前の概念として登場する「邪視」ですが、これは4000年以上後の時代である19世紀の西欧でもまだ信じられていました。
では、そもそも身を守るべき攻撃である「邪視」とは何なのでしょうか?
「邪視」とは一体どのようなものなのか?
哲学者ベーコンは、「色々な感情がある中で「嫉妬」が一番執拗に続く」と言った。
「邪視(じゃし)」の源泉にあるのは人間の嫉妬の感情です。
嫉妬とは一番身近で、本能レベルで恐ろしく、しかし万人がもつ感情です。
怒りや悲しみの感情のように、一時的な物ではない。
たとえば日本の憑物信仰なんかでは、特に執念深いと信じられている「蛇憑き」は、数ある憑物の中でも最も恐れられました。
蛇とは、執念深く嫉妬深い生き物の代名詞だったからです。
邪視信仰とは、嫉妬の感情が他の人に直接及ぶように作用したり加害したりして、物事を操ると信じられた信仰のことを言います。
昔の西欧・東欧では、家畜や子供が体を崩したりすると家人は「邪視された!」と言って、まず医者ではなく白魔術師のところへ相談に行く習わしがありました。
医者へは行かないので、これでまず初期治療が遅れます。
そして白魔術師は、その病状が邪視が原因であるという前提で診るので「これは邪視されたのであって、このままでは死ぬ!」と家族に宣言します。
こうして家族は邪視が原因だと思うことによって思考停止に陥り、子供・家畜を救う努力まで怠ってしまうのです。
この結果、不幸にも亡くなってしまうと「やっぱり邪視だったんだ!」と思い込むことになる。
この構図は日本の憑き物信仰と全く同じです。
「邪視」は家畜や子供などの弱い者が被害に遭うとされました。
つまり、嫉妬・恨みの対象は飼い主や親であっても、邪視の効力は家族内で弱い存在である、家畜や子供へ向かうと考えられたのです。
そして瞳の色や人種の問題で、特定の人種は特に邪視の能力が強力であるとされたのです。
ひどい場合は子供が成長するまで、(その人種や瞳の色を持つ)父親と子供が引き離されて生活させられるような悲劇もありました。
この場合は完全に迷信を信じ切っているので、どんなに優しく信頼のおける父親であっても、ひとたび疑いが掛かれば強制的に子供から引き離されてしまうのでした。
ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは西暦77年「博物誌(原題:Naturalis historia)」にて恐ろしい事に、特定の民族を名指しして「彼らには「邪視」の能力がある!」と記しました。
この証拠に、「この人種の者は、衣服を着たまま手足を縛って水に投げ込んでも、水に沈まず死なない」と書いたのです。
察した方もいるのではないでしょうか?
これが後の時代、魔女裁判で魔女であるかどうかを判別する「水中に投げ込む方法」に反映されるという悲劇に繋がりました。
水に浮けば有罪で死刑、沈めば溺死。
どちらにしたって疑いが掛けられた時点で、死の選択肢しか与えられないのです。
これってもう、めちゃくちゃですよね。
嫉妬心を覚えたものが「邪視」で誰かを攻撃するという信仰が、魔女裁判の頃には逆に、誰かに対する嫉妬が原動力になって「邪視使いだ」と言って人を陥れる。
どっちが「邪視」なんだかわかったものじゃない。
恐ろしい邪視から身を守りたい人々
しかし、これほどまでに本気で信じられていた「邪視」という存在。
であれば当然、身を護るための方法がいくつかあります。
邪視は結局「嫉妬の感情」由来なので、何かの原因で褒められたり名誉を受けた人がまず一番に恐れるものでした。
なので名誉を受けたら、自分の胸に唾を3回吐きかけるという方法が存在しました。
これ、似たようなというか、ほぼ同じ方法が日本にも存在しています。
相手に邪視を飛ばされる前に、自分自身で自分を穢してしまおう!という発想ですね。
また、「オオカミの尾」も効果があるとされました。
オオカミは獲物を捕らえる際、鋭い眼光で獲物の動きを捕らえるためです。
基本的に西洋文化でのオオカミは悪役感が強いので、正直これは意外だなって感じるんですけど、狼は邪視の被害に遭いやすい家畜を害する存在の典型でもあったので、これは「敵を敵にぶつける」的戦法なのかもしれない。
…と、ここでもう一度話を戻すと「ナザール・ボンジュウ」は確か、「邪視」から身を護るためのアイテムだったはずですよね。
単純に邪視から身を守るのであれば、オオカミグッズとかオオカミの目をモチーフにしたアイテムで良いはずです。
なぜ「ナザール・ボンジュウ」なのでしょうか?
ここまでは、「邪視」に関しての文化的背景の話でした。
ではここからは「ナザール・ボンジュウ」そのものの背景を探ってみましょう。
人は偶像崇拝をやめることができない
キリスト教は、偶像崇拝を禁じています。
派閥によっては、実はマリア像や十字架などですら禁じています。
しかし偶像崇拝を禁じても、真に偶像=シンボルを完全に排除することは不可能です。
人の歴史に信仰が生まれたのは「シンボル」が出現したからと言われています。
このシンボルが芸術へ発展し、様々な文化にも繋がりました。
だから、人々は歴史の中に完全に一体化していた「シンボル文化」を受け入れざるを得ませんでした。
このようにして発展したシンボル文化は、形を変えながらもキリスト教にすら吸収され、いくら偶像崇拝を禁止されようとも根絶されることはありませんでした。
そしてシンボルはやがて、そのシンボルそのものが意味を持ち始めます。
その流れで「アミュレット(お守り)」というものが登場します。
RPGとかにも魔よけ系の装備品としてよく登場しますね。
辞書編集者ウィリアム・スミス1855年の「古代ギリシア・ローマ文物辞典」(Wikiでは1842年とされていますが、手元の資料が1855年ですので、そちら準拠で)では、古代ギリシア・ローマ時代での本来のアミュレットは「ぶらさげるもの」という意味だったのですが、近代の辞典では「魔から身を護るお守り」という意味に発展しているという事が記されています。
これは時代の経過とともに「アミュレット」そのものに、新たな意味が加わったことを意味しています。
つまり、元々「アミュレット」という言葉自体には魔よけ・お守りという意味はありませんでした。
ただのアクセサリーを意味していたのかもしれないのです。
そもそもナザール・ボンジュウのように、「瞳」を「魔よけ」の意味で使い始めたのは古代エジプトの「ホルスの目」「オシリスの目」からであると言われています。
これらはエジプトの王墓から発掘されており、古代エジプトが「邪視」を恐れていたことは冒頭部分に書いた通りなので、古代エジプト人は「邪視」に対する魔よけとして「偉大な神の瞳」を用いたという理屈となります。
このうち特に「オシリスの目」は「邪視」に対して対抗する「完眼(うざ)」と呼ばれました。
そして、この王墓から発掘されたものと同じ用途で使われたと思われる「瞳」を模したアミュレット型装飾品が、フェニキアの古代墓からもいくつも出土しました。
正確には不明な点も多いですが、古代エジプト滅亡まで、フェニキア(現在の中東レバノン・シリア・イスラエル付近)は古代エジプトに支配を受けていたといわれます。
このフェニキアで多数出土した「眼の形のアミュレット」(時代の前後はともかく、便宜上アミュレットと書きます)には、いくつかの種類がありますが、この後の時代に古代ギリシアをはじめアラブ・ヌビアでも親しまれ、現在のトルコにも存在しています。
ところで、海を挟んでトルコの北に位置するクリミア(ウクライナ付近)の古墳から出土した「数珠つなぎになったアミュレット」には、ナザール・ボンジュウとほぼ同じような瞳のような模様が数多くデザインされています。
…ということで、実は「ナザール・ボンジュウ」類似の意匠自体は、実はヨーロッパから中東に至る地域の出土品の中では特段珍しいものではないことがわかります。
「ナザール・ボンジュウ」自体は、割とこの地域一帯で紀元前の古代エジプトから発展・派生し親しまれた、普遍的な「邪視除け」アイテムの形態ということです。
そしてその色が基本的に「青い」のは、邪視能力を持つとされた被差別人種の瞳を模しているから、ということになります。
今は青以外にも色んな色がありますが。
では亜種と言われる「ファトマの手」とは何なのか?
ファトマの手は大体こんな感じのアクセサリーです。
ナザールボンジュウと同様の扱いで販売されていますが、こちらの意匠のほうが細かく煌びやかなものが多い気がします。
(適当に描いただけなのですいません…)
旧約聖書の「箴言(しんげん)」の中に次の一節があります。
「邪視を持つ者のパンを食らうことなかれ」
邪視を恐れるのが邪視信仰上事実であるとしても、もっと怖いのはそういった力を持った者との物理的接触です。
物理的接触に欠かせないのが「手」ですよね。
そして、人が人たらしめている最も原始的で一目瞭然な部分も「手」でした。
「手」は人間が動物よりも文明的であるという最も説得力がある部分であり、同時に霊力を宿していると考えられました。
(これは古代日本でも同じ思想があります)
占術の記事でもふれたように、手相は古代の西欧発祥とする説があり、ふたつとして同じものはありません。
これは結局「ナザール・ボンジュウ」と同じ原理なのですが、邪悪が相手の手先から発せられるのであれば、こちらがそれを防ぐ対抗手段も「手」という発想です。
実際、鉄器時代の最古期(紀元前110年頃~)とされるような太古の時期に、イタリアのエルトリアから手形のアミュレットが出土しており、また「眼の形のアミュレット」とともに、フェニキア(紀元前2750年頃~)からも手形のアミュレットが複数出土しています。
ちなみに、手が大きい意味を持つということは、手の仕草一つ一つにも意味があるわけです。
実際、意味を持った手の仕草には様々なバリエーションが存在します。
その中にファトマの手と同じ仕草を表す手の形がありますが、これにも意味があります。
9世紀建造のスペインのアルハンブラ(アランブラ)宮殿に「正義の門(裁きの門)」という名の大きな門があります。
ここに、ファトマの手と同じ仕草の手が彫刻されており、これは邪視防止の彫刻だそうです。
この手の意味が、「力と節理をあらわす神の手」であるといいます。
またこの手のポーズはオリエントでの法廷の宣誓でも取られます。
これは昔の法廷が出てくる映画とかでも見るポーズなので、見た事のある人も多いんじゃないかな?
体育祭とかでもやるよね。
ちなみにアルハンブラ宮殿だけではなく、イスラム圏にも同じ意匠は存在し、ここで類似物を取り上げ始めるときりがないです。
という訳で、手に関しても意味合いとしては瞳のシンボルに近いものである、と考えて良さそうです。
こうなると、「手のひらに瞳」の「ファトマの手」は、邪視除けのシンボル×2の強化版、という事になるわけですが、更に疑問も出てきます。
邪視除けの手のポーズは、これ以外にもあるというのに、何故この手のポーズ+目でなければならないのでしょうか?
例えばネット上で言われる情報の一つに「フェニキアのタニト信仰のシンボルに同じような手のマークが多い」というものがあります。
ただし、このマークと「ファトマの手」が直接どう結びついているのかは不明、とされています。
本当に不明なのか?
なのでこの場合は、構成する要素を整理して考えて見ましょう。
① ナザール・ボンジュウの「瞳」は邪視除けの丸い瞳
② ファトマの手の、目はエジプト型、手はタニト信仰のシンボルに多い
この二つです。
タニト信仰とナザール・ボンジュウの丸い瞳
タニト信仰について簡単に説明します。
タニトは軍神、地母神、豊穣神という属性を持ち、北アフリカで信仰されていました。
この神はベルベル人と呼ばれた北アフリカ原住民及び、古代カルタゴで信仰していたとされ、起源は不明とされています。
で、この神はフェニキアでも信仰されていました。
この古い神は、新しい信仰や他の信仰と融合(習合)しながら、フェニキアやアフリカ、スペインなどに広がり、ユノー信仰と同一視されました。
ユノー(ユノ、ユーノー)というのはローマ神話の女神で、ギリシア神話ではヘラ(ヘーラー)と言います。
最高神ゼウスの妻ですね。
ギリシア神話やローマ神話では、超有名な神様です。
この、ユノー信仰の象徴的な鳥として、西欧(イギリスでもその習慣があったとE.T.エルワージが語っています)では「クジャク」を描いたり刻印していたそうです。
さて、クジャクの羽根には見覚えのある模様がついていますよね。
そう、ナザール・ボンジュウの瞳です。
そして元々、邪視除けのアミュレットにはユノーだけではなく、主要なギリシア・ローマ神話の神々のシンボルを描く習慣があったそうです。
この情報は、サンタ・ルチア・デラ・ティンタ教会近くのテーヴェレ川から発見された、ローマ紀元754年(西暦元年)の碑文に記載があります。
このシンボルを描くという習慣は、時代や文化と共に図柄が変わっていきますが、必ず描かれたのは「瞳」だったのです。
そしてこれは複数のシンボルの中でも必ず中央を陣取りました。
それだけ重視されていたのでしょう。
ただし、わかるのはあくまでも「タニトと習合したユノーのシンボルが孔雀の羽根形の瞳」ということでしかありません。
タニトは元々は古代エジプトのネイト信仰が起源であると言う可能性が高く、タニトの石碑の手の意匠に目は入っていませんが、「手と目」が別々に彫られたものであれば存在しています。
無関係ではないが、タニトと安易に結びつけることは慎重になっていいかも。
つまり、まとめると
- 古代エジプト(紀元前3000年頃~紀元前30年頃)では邪視除けに「目」を用いる風習があった。
- タニト信仰の石碑には「手」が関連付いている。(紀元前900年以降?)
- タニト信仰のあったフェニキアでは「目」と「手」両方のシンボル信仰があった
- 後のギリシアローマ時代の西欧(北の方角)では「目」が主流(手もある)
- イスラム圏(南方)では「手」の意匠が増える(後述)
ということです。
「ファトマの手」と「ハムサ」
「ファトマの手」は「ハムサ」イスラム圏ではと言い、この「ハムサ」というのはアラビア語で「5」を意味する数字です。
つまり広げた5本指を指し、これはイスラム文化圏の言葉です。
実際、「ファトマの手」はヨーロッパではなくイスラム圏の「ハムサ」が主流です。
で、前述したのですが、ファトマの手と同じポーズが邪視除けになるという意味でアランブラ宮殿に掘られていると書きました。
イスラム圏にも同じ意匠は存在するとも書きました。
そう、イスラム圏にも同じ意匠は存在するんですよ。
しかも、ファトマの手とナザール・ボンジュウでは、基本型では目の意匠が違う。
ファトマの手の目の意匠は、古代エジプト(紀元前)の古い時代に近い形です。
ナザール・ボンジュウ型は、後の時代(8世紀以降ギリシア・ローマ時代)に増えるようです。
実際の分布もこれに従う傾向にあります。
これは、邪視除けのお守りとしての流入・分布ルートが違うと考えます。
東欧で古代エジプトとイスラムの文化方面で出来たものが「ファトマの手」。
西欧でギリシア・ローマ神話と習合して出来たものが「ナザール・ボンジュウ」。
後年になるにつれて互いの要素が習合されて「どちらもお守りだよ」状態になったと考えるべきであって、「ナザール・ボンジュウの亜種」という考え方は、合っていると言えば合っているし、違うと言えば違うんじゃないかな。
これイトコみたいな兄妹みたいな、両方が本物みたいな存在なんだと思う。
ナザール基準でファトマを亜種なんて言ったら、ファトマの手が可哀想じゃない?
むしろ起源を辿ると、オリジナルにより近いのはファトマの手の方であるとも言えます。
詳しい人に、間違ってる!と言われそうですが。
結論なんですけど…背負ってる歴史が暗いお守りだよね
まず、海外では広く「邪視」が信じられてきました。
この起源は恐らく古代エジプトであると思われる、古い信仰の一種でした。
大元は「他人からの嫉妬が怖い」という恐怖心で、暗い感情。
そういった感情が源泉にあるからなのか、邪視信仰は東欧や西欧では多くの悲劇を生み、魔女狩りにも影響を与えるような信仰でした。
その恐怖から身を護るため、紀元前から「瞳」「手」の意匠を施したアミュレットが作られ、お守りとして長い歴史を持ちました。
主にギリシア・ローマ文明と習合した「ナザール・ボンジュウ」のタイプがヨーロッパに広がり、フェニキアのタニト信仰を経て生み出された「ファトマの手(ハムサ)」はイスラム圏を中心に根付いたようです。
構図が日本の「憑物筋」に酷似していますが、大きな違いは最終的に「ナザール・ボンジュウ」も「ファトマの手」も、一種の特産品であるお守りとして愛されるに至った点です。
根っこに暗い歴史はありますが、愛される形式に昇華されているのは素敵な事ですよね。
あ、そうそう、書き忘れてました。
カテゴリ違いだろって言われそうなんだけど。
もうひとつ「邪視」除けのお守りシンボルとして使われていた物がありました。
「男性器」です。
男性器は全ての魔を吹き飛ばす力があるそうです。
実際、古代のアミュレット型魔よけには頻繁に男性器が描かれていますし、フェニキアでは男性器型調度品(机とか椅子とか…)なども当たり前みたいに使われていました。
あなたが男性なら、ナザール・ボンジュウもファトマの手もいらないよ。
コスパ最強じゃね?
あ、だから成人男性は邪視に強いのか!!!!
参考文献
「邪視」F.T. エルワージ
「性崇拝」太田三郎
「世界史年表・地図(2023年版) 」亀井 高孝 (編集), 三上 次男 (編集), 林 健太郎 (編集), 堀米 庸三 (編集)