日本の「切腹」と「内臓占い」
この記事には少々ショッキングな表現があります。
あと少々下品な事を言います。
また、漫画部分にギャグ程度のBL(同性愛)表現があります。
※キャラクターの紹介はこちらからどうぞ。
今回は「切腹(せっぷく)」と「内臓占い」の話です。
「切腹」の文化的背景について詳細に掘り下げるつもりはありません。
あくまでも「占術」カテゴリとしての記事ですので、切腹についての詳細な記録や作法・文化について、この記事で知る事はできないと思いますので、あらかじめご了承くださいね。
「切腹」で誠意お見せします!
武士と言えば「切腹」。
「切腹」と言えば武士。
時代劇なんかでよく目にする「切腹」が一体何であって、その本質を真に理解している人はなかなかいないと思います。
なぜなら、私たち現代人が本物の切腹を目にする事はほぼ無いと言っていいからです。
「私、本物の切腹見ました!」という人は、特異例なので黙っててください。
「切腹」が誰しもが思う「切腹」として日本で初めて書かれたのは「義経記(ぎけいき)」という、作者不明の全8巻からなる古い軍記物語で、室町時代の初期から中期(1336年~)に書かれたと言われています。
これは、この物語の主人公である源義経(みなもとのよしつね)の死後100年以上経過してから書かれた物語ということになります。
例え話として適切かわかりませんが、現在の大河ドラマであったり、坂本龍馬を書いた司馬遼太郎の「竜馬がゆく」と似たようなものであった可能性もあります。すいません好きなんです司馬作品…。
なので、室町時代ごろには「切腹」というものは存在していたかもしれませんが、義経記の舞台である平安時代の後期に本当に「切腹」が存在していた根拠にはなりません。
むしろ、疑って良いとさえ思います。
というわけで…。
実は「切腹」の起源はわからないのです。
「切腹」の作法
切腹描写のある文献は数多く存在するのですが、殆どは成立年が新しい上に、書き手のイメージで作り上げられた点も多々あります。
「切腹」が後の時代ではスタンダードになっていったという考え方も出来ますが、フィクションと思われる記録も多いのです。
ちなみに切腹は男性だけのものではないようで、記録上では男女問わず行われているようです。
そう考えるとサムライ専用って訳でもなさそうですね。
ちなみに古代切腹の工程は、概ね次のようなものです。
- 立膝で上体を起こした姿勢をとる
- 十文字、または一文字に腹を切る
- 自分の手でお腹の中身を引き出して見せる
どうして「お腹を切って中身を見せる」必要があるのか。
旧五千円札にもなった新渡戸稲造(にとべいなぞう)が1899年(明治32年)に出版した「武士道」には次の一節があります。
『我はわが霊魂の座を開いて君にその状態を見せよう。汚れておるか清いか、君自らこれを見よ。』
この一文からわかるのは、「自刃(じじん)」で死ぬ勇気とか度胸とか覚悟とか、そういう話をしているわけではないということです。
「腹部を切る」事でその「中身を開示」して相手に開示したものを「判断しろ」と言ってるんですよ。
晒すべき「魂の在処」はどこなのか?
中世以前の日本人の感覚では、魂は腹部に宿るという考え方が一般的だったと言われています。
いわゆる「丹田(たんでん)」と言われている場所で、この「丹田(たんでん)」の中で一番下部にあたる「下丹田(しもたんでん)」を主に「肚(はら)」と呼び、これが五臓(ごぞう)の中心とされました。
五臓(ごぞう)とはよく、「五臓六腑に染み渡るぜぇ~」とか言うアレで、簡単に言うと人間のメインの内臓のことを指します。
この「魂が腹部に宿る」という発想は何も日本に限ったものでもなく、世界各地に散見された考え方です。
この場所は「第2チャクラ(スワーディシュターナ)」とも呼ばれており、お臍のすぐ下部分です。
チャクラの考え方では、ここが生命エネルギーそのものを司っていると言われています。
近年、腸は単なる消化器官ではなく、脳と腸は情報を交換しあう第二の脳であるという研究も進められているので、全くの荒唐無稽な話ではないのかもしれない。
さて。
この考え方、明確にいつから始まったのかという部分は曖昧ですが、平安時代前期には日本にあったと考えられます。
というか私が勝手に考えています。
この根拠は、古代中国である唐(とう)という国に渡り、「密教(みっきょう)」を修得した最澄(さいちょう)が、帰国後に天台宗(てんだいしゅう)を起こしたのが平安時代の前期であるからです。
この「密教(みっきょう)」が重要で、密教はインドのヒンドゥー教の要素を含んでいます。(ベースになった思想のひとつです)
「チャクラ」とはこのヒンドゥー教にも存在する概念ですので、このタイミングで日本に持ち込まれたと考えても良いんじゃないでしょうか?
このような事情から、「義経記(ぎけいき)」が書かれた室町時代には、既に”魂は腹部に宿る”という価値観が存在していたとしても不思議はないのではないかと思います。
これは余談なんですが、もうひとつ、人体には「魂が宿っている」とされる場所があります。
金玉です。
暗喩とかそんなんじゃくて、金玉です。陰嚢です。フグリです。
ただ、金玉は宗教的な部分が薄いんですよね。
しかも、女性には無いし。
上にも書きましたが、切腹は男女ともに行われてるんで。
性崇拝に関わる逸話でも、金玉に関する話や習俗は少ないんです。あるにはあるんだけど。
ただし、これは今回の切腹の話には関わらないので余談程度で終わりますが、なかなか面白い解釈もあると思っているので、それはいつか別の記事にできたらいいなと思っています。
「セルフ内臓占い」という古代の凄い発想
「日本人はなぜ切腹するのか」の中で、著者の千葉徳爾氏は、“お腹の中身を開いて見せる”事自体に意味がある事、そして「内臓占い」との関連性を説かれています。
新渡戸稲造も
『我はわが霊魂の座を開いて君にその状態を見せよう。汚れておるか清いか、君自らこれを見よ。』
と記している通り、要約すると
「物理的に腹黒いかどうか、その目で確認して見ろ!」
という事を物理的に行動で見せている、という事です。
これってつまり、「内臓占い」を自分でやる、という事です。
「内臓占い」とは随分に物騒でグロテスクな響き。
少なくとも私たちが身近に考えているような種類の占いでなさそうなことは、その字面から充分に伝わってきます。
これはどういった占術なのでしょう?
「内臓占い」自体は古代から世界各地に散見される占術のひとつで、特定の動物の内臓を観察し、その吉凶を判断する方法です。
当然、人間の内臓で判断される場合もありますが、この判断基準や詳細は国や民族によって違ってきます。
現在でも、昔の習俗を残した部族などには残っている場合があります。
それくらい、世界的に見るとポピュラーかつ原始的な占術のひとつです。
切腹とは、この「内臓占い」のように自身の内臓を開いて皆に見せることにより、真心・本心・誠意を示し判断させる行為ではないかという事を、新渡戸稲造は著書「武士道」の中で触れているのです。
何故なら先ほども書いたように、人間の魂が丹田にあると考えるのは、ごく一般的な考え方であったからです。
最古の「切腹」事例と人身御供
先程、最古の切腹の記録は室町時代の「義経記(ぎけいき)」であると書きました。
これは周知の事実であって、割と有名な話です。
ところで、千葉徳爾氏の「日本人はなぜ切腹するのか」には、少し変わった考察が存在します。
日本最古の切腹は、史実と言うより伝承としての「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」(奈良時代初期に編纂)の中のとある女性であるという考察です。
この女性は切腹の後、腹辟沼(はらさきぬま)で水死しました。
これに関しては千葉氏が自著内で大変に考察されていますが、次のような内容です。
山の神に豊穣を祈り、山の神の妻という位置づけの巫女の祭儀が営まれたが、結果は期待に反して豊作にはならなかった。
巫女は山の神の妻であり、作物はその子孫と言う位置づけになる。
この原因は巫女の生命力不足として転嫁され、神の加護を得られなかった巫女は、自分自身の生命力の根源である内臓を供物とし、水の神として沼で命を落とした。(切腹ではなかなか死ねないという事もあると思われる。)
以来、この沼の魚には内臓が無い。
千葉氏はこれを最古の切腹のひな形であると主張されました。
実際、明確に自力で腹を割いた最古の話であるようです。
これは、個人的には、女性が自刃しているので「切腹」であると同時に神に供物を捧げる「人身御供(ひとみごくう)」でもあると捉えています。
この「人身御供(ひとみごくう)」は元々は「生贄(いけにえ)」というものでした。
この「生贄(いけにえ)」の本来の意味とは、「生きた魚を神に供える」です。
宗教学者の加藤玄智氏が1912年の「仏教史学」9~10号において柳田国男氏に対しアンサーした文章の中に、千葉県袖ケ浦市にある坂戸明神で「まな板の上で生贄を刀で殺す真似をする」儀式があり、これは実際にあった人身御供の儀式を形式化したものだと書かれています。
なんかこれ、魚っぽくない?
しかも上の「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」に通じるものを感じませんか?
恐らく、「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」の豊穣の神は、蛇神です。
この時代のスタンダードでは、山の神は蛇神で、水の神も蛇神。
稲荷神よりも以前は、その役割は蛇神が多かったのです。(地域によっては狼の場合もアリ。)
ちなみに類似の逸話は全国に散見され、この場合の生贄は全て女性です。
そのうちの多くは、大蛇に女性を捧げます。
女性が腹を割いて水の神になる。
沼の魚には内臓が無い。
女性=魚=生贄じゃないかな。
だから山の神に女性(魚)を捧げる。
実は「人身御供(ひとみごくう)」も、その起源や存在そのものには議論があり、不明な事が多いジャンルです。
この逸話自体は、個人的な感覚で見るとやっぱり人身御供要素の方が強いと感じます。
…が、確かに責任を取るような点においては切腹の要素も併せ持っているように思います。
習俗というのは、結びついて形を変えて「習合(しゅうごう)」しますので、このような古代の日本から全国に広く存在したと思われる「人身御供の習俗」が「丹田の開示」と結びついたか、変化したという事は…無いとは言えないでしょう。
ちなみに蛇は陰陽五行思想では「極陰」です。
陰陽五行思想的には、蛇が求めるのは女性ではなく男性って意味です。
しかし日本古来の逸話の多くは、蛇が求めるのは男性ではなく女性が多いです。
もし千葉氏が言うように、「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」の伝説が切腹の起源に一役買っているのであれば、「切腹のルーツは人身御供にある」と私には思えます。
内臓占いの占術としての種別って…
話は少し戻って、「内臓占い」について。
「内臓占い」とは、
「生き物の内臓を開いて、その様子で吉凶や可不可等を判断する。」
というものです。
もうその名のまんまの占いですが、古代ではアジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸…など世界中に広く存在するものでした。
ここで「占術」として気になるのは、
これって”その瞬間の偶然の因果を見る”という「卜術(ぼくじゅつ)」なんでしょうか?
それとも”そのものの状態を判断する”という「相術(そうじゅつ)」なんでしょうか?
日本以外の諸外国で行われる内臓占いは、YES/NOの答えを求めることが多いそうなので、これは古代日本で政治の吉凶・可否を占った「太占(ふとまに)」に近い「卜術(ぼくじゅつ)」であると思われます。
つまりタロットカード等と同類です。
「卜術(ぼくじゅつ)」は占いを行った ”その日その時その瞬間の状態こそが必然” という考え方ですので、通常は同じ質問内容で何度も占う事はありません。
その結果を吉凶問わず受け入れ、良い結果が出るまで同じ質問を繰り返すようなことはしません。
一方の、日本の切腹は「相術(そうじゅつ)」であると考えます。
これは手相や血液型占い、姓名判断と同類です。
「相術(そうじゅつ)」とは、そのものの”ありのままの形”から判断して占う方法です。
つまり、魂が宿っていると考えられている”「肚(はら)」=腹部”を切って、相手に開示する。
その魂の宿る場所である「肚(はら)」の中身が汚れているかどうかを見て確かめる、のです。
これには「相術(そうじゅつ)」の要素を強く感じます。
新渡戸稲造の言う通りであれば、「切腹」というのは、太占(ふとまに)のように祭事の吉凶を占っているわけでは無く、「私が腹黒いかどうかを確認してくれ」という訴えです。
「そ、そんなこと言われても、内臓見てそれでどう判断しろと!?」って思いますよね。
ところが切腹が行われたのは現代ではありませんので、価値観も知識も今とは違います。
人間の性格を判断する言葉には”腹黒い”や”肝が大きい(太い)”、”肝が据わっている”など、腹部の内臓の状態で表現している言葉が大変多く見られます。
医学知識の広まっている現代と違って、このような迷信(腹黒い・胆が大きい等)が信じられている社会では、命がけの「相」を見せ、そこに前項の「生贄」の要素が結びついているのではないでしょうか。
もちろん、このような苦痛を伴う上に生命を間違いなく失う行為では、その度胸・根性や精神を試されるでしょう。
むしろ習俗は「時代と共に形式化して、本来の意味を失って形だけが残る」という事が当然のように起こりますので、後世には生贄の意味は失われているだろうし、新渡戸が語ったのは「切腹」が孕んでいる複数の意図の中の一部であると思います。
誇りあるものではなく「清算」「ケジメ」であった場合もあったでしょう。
(習俗の形式化については、ジェームズ・ビー・スミレーが、学術雑誌「人性(じんせい)」にて語っています。)
ここまでの「切腹」についての作法や意味をまとめるなら
- 魂の座である腹を割く覚悟を見せる
- 実際に見せた(相術)
- それを献上(生贄)する
という流れになります。
「切腹」と一口に言っても、切腹の工程の中でこれだけの意味を含んでいる訳です。
もちろん全ての切腹に対してこれが通用するわけではありませんので、あくまでもこれは、新渡戸稲造が言う「切腹」を基準にして考えた場合ですが。
ちなみに、多分なんですけど、実際の内臓の状態はあまり関係が無いのではないかと思います。
日本独自の「切腹」という作法
「内臓占い」は全世界にある、と何度か書きました。
しかし、このような内臓占いの特色(そもそも内臓占いではなく切腹なんだけど)は日本以外には無いようです。
このため、外国人は日本人の切腹にひどく驚いたのではないかと思います。
実際、新渡戸稲造の「武士道」は、1899年(明治32年)に日本ではなく先に海外で出版され、大きな反響を呼びました。
ちなみに、切腹に似たものは中国・朝鮮半島にも記録はあるようですが、やはり日本の切腹とは本質的に毛色が違うようです。
…が、開国が迫る幕末の時代には、既に当時の人の間でさえ「切腹」の本意は漠然としたものになりつつあり、新渡戸稲造が著書「武士道」の中で、わざわざ切腹についての考察を行ったそれ自体が、切腹が既に起源や意味を失いつつあった証明になるのではないかと感じました。
もし「切腹」が室町時代あたりに成立していたとしたら、そこからは1000年近くが経過しており、本来の意味や目的を失ってしまうには充分すぎる歳月が流れているからです。
さて、最後に余談。
切腹とは、魂の宿る腹部を切ってケジメをつける文化です。
下半身にも魂が宿っている場所がありますって、書きましたよね?
ここは場所的な意味合いもあると思いますが、魂であると同時に煩悩もここにあるとみなされました。
古代って、どこの国でもそうだけど、すぐ切りたがるんだよ。
痛いのに意味わかんないんだけど、切りたがるんだよ。
こちらにも、風習…と言って良いかわかりませんが、そういう文化が日本仏教に存在します。
それは「占術」ではありませんが、そのうち書けたらと思います。
参考文献
「日本人はなぜ切腹するのか」千葉徳爾
「武士道」新渡戸稲造
「山の神」吉野裕子
「まぐわう神々」神崎宣武
「きんたまの話」吉田仁
「生贄と人柱の民俗学」礫川全次